バラ色のくつ(ベルト・モリゾ)

エドゥアール・マネ《バラ色のくつ(ベルト・モリゾ)》1872年
バラ色のくつ(ベルト・モリゾ)Woman in Rose Shoes (Berthe Morisot)
1872年
油彩、カンヴァス、46.4 × 32.5 cm
ひろしま美術館(広島)

この作品のデータ

作者エドゥアール・マネ同じ作家の作品 6点
制作年1872年
時代印象派以後同じ時代の作品 105点
様式—
種別絵画
技法・素材油彩、カンヴァス
所蔵ひろしま美術館広島
有名度★★★
展覧会“カフェ”に集う芸術家 印象派からゴッホ、ロートレック、ピカソまでひろしま美術館(広島県)2026年10月3日(土)〜2027年1月11日(月)開催中
何がすごいのか

マネは1868年から1874年にかけて、画家ベルト・モリゾの肖像を12点描いたとされます。そのうち1872〜74年には黒い服の彼女を何度も描きました。この1枚では、黒いドレスのすそからバラ色のくつがのぞいています。モデルと画家の関係は、彼女がマネの弟と結婚した1874年に終わりました。

見どころ

こちらを見る顔

髪を上げたモリゾが、正面からこちらを見ています。顔は明るく塗られ、黒い服と髪のあいだで浮かび上がります。

全身をおおう黒い服

肩から足もとまで、ゆったりした黒い服が画面のほとんどを占めます。マネは1872年から1874年にかけて、黒い服のモリゾを何点も描きました。

すそからのぞくくつ

左下、ドレスのすその下に片方のくつが見えます。この淡いバラ色が、題名の由来です。同じ連作のほかの絵では、扇を持つ姿やベールをかぶった姿が描かれています。

サロンから始まった交友

モリゾの両親は、第二帝政期に自宅のサロンを芸術家や音楽家、作家に開いていました。そこでは男女が対等に芸術や政治を語り合ったと、オルセー美術館は紹介しています。マネはこの集まりで1868〜69年ごろから存在感を増し、モリゾの肖像を次々と描くようになりました。

普仏戦争とパリ・コミューンのあいだ、マネは絵を描けない時期を過ごしました。1871年の終わりに制作を再開したとき、モデルとして呼んだ一人がモリゾです。黒い服の彼女を描いた一連の肖像は、この再開のあとに生まれています。

同じ年に別の道へ

1874年、モリゾはマネの弟ウジェーヌと結婚し、マネのモデルを務めるのをやめました。同じ年、彼女は印象派の仲間とともに展覧会に参加し、その運動に長く関わります。第1回印象派展に出品した作品のひとつが『ゆりかご』です。

一方のマネは、印象派展に一度も出品していません。それでも、スペイン絵画や浮世絵の影響を受けた作品によって、「印象派の父」と呼ばれています。

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よくある疑問

『バラ色のくつ(ベルト・モリゾ)』はどこにある?

広島市中区のひろしま美術館が所蔵しています。同館はマネの作品をこの絵と、パステル画『灰色の羽根帽子の婦人』(1882年)の2点所蔵しています。

モデルのベルト・モリゾとは誰?

印象派の女性画家です。姉のエドマとともに1864年にサロンでデビューし、ファンタン=ラトゥール、マネ、ドガとの交流をきっかけに画家としての道を本格的に歩みました。1874年にマネの弟ウジェーヌと結婚しています。

マネはモリゾを何回描いた?

1868年から1874年までに12点の肖像を描いたとされます。最初に登場するのは『バルコニー』(1868年)で、前列に座る女性がモリゾです。1874年の結婚のあと、彼女はマネのモデルを務めなくなりました。

オルセー美術館の『すみれの花束をつけたベルト・モリゾ』とは何が違う?

どちらも1872年に描かれましたが、オルセー美術館の作品は黒い服に黒い帽子の姿を、横から強い光で照らして描いています。詩人ポール・ヴァレリーは、マネの全作品のなかでこの1872年の肖像を最も高く評価しました。本作は全身像で、足もとのくつまで描いています。

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エドゥアール・マネのほかの作品

《草上の昼食》 《オランピア》 《笛を吹く少年》 《アスパラガスの束》 《フォリー・ベルジェールのバー》

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