
この作品のデータ
| 作者 | エドゥアール・マネ | 同じ作家の作品 6点 |
|---|---|---|
| 制作年 | 1862〜1863年 | |
| 時代 | 近代 | 同じ時代の作品 43点 |
| 様式 | 写実主義 | 同じ様式の作品 8点 |
| 種別 | 絵画 | |
| 技法・素材 | 油彩、カンヴァス | |
| 所蔵 | オルセー美術館パリ | 同じ所蔵の作品 29点 |
| 有名度 | ★★★名画クイズの無料の54点に収録 |
サロンに出品したものの「不道徳」として落選し、落選展でも酷評された作品です。着衣の男性2人と裸婦という組み合わせは、実は16世紀の版画からそのまま人物配置を借りたものでした。もとの題名は『水浴』でしたが、モネが同じ題材で描いた作品に対抗して改題しています。
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見どころ
服を着た男性と裸の女性
手前に座る3人のうち、男性2人は服を着たまま、女性だけが裸で描かれています。人物の配置はラファエロの『パリスの審判』をもとにした銅版画から借りたものですが、元の版画では3人とも裸で描かれていました。
左下に置かれた脱いだ服
女性が脱いだ服は、パンやワインなどピクニックの持ち物とともに画面左下にまとめて描かれています。マネはこうして神話の中の裸婦ではなく、「現実の裸体の女性」を描こうとしました。
ティツィアーノに由来する森
背景の森は、ティツィアーノ(ジョルジョーネ作ともいわれます)の『田園の合奏』に由来する構図です。マネは古典絵画の要素を下敷きにしながら、主題だけを同時代の現実に置き換えました。
サロンでの落選と物議
マネは当初『水浴』の題名で1863年のサロンに出品しましたが、「現実の裸体の女性」を描いたことが不道徳とされ落選しました。同年、落選作品を集めた落選展に展示されましたが、ここでも批評家たちから同様の理由で強く批判されています。当時の常識では、着衣の男性がくつろぐ場所に裸でいる女性は娼婦とみなされていました。
古典を下敷きにした構図
手前の3人の配置は、1515年頃にマルカントニオ・ライモンディがラファエロの『パリスの審判』をもとに制作した銅版画に由来します。ライモンディの版画では3人とも裸でしたが、マネは男性2人に服を着せ、女性だけを裸のまま残しました。背景の森はティツィアーノの『田園の合奏』を踏まえています。
後世を触発した題名
『草上の昼食』は後世の西洋絵画に大きな影響を与え、パロディやオマージュが数多く生まれました。モネは1866年に同じ題名の作品を描き、セザンヌは1870年頃にマネへの対抗として、ピカソは1960年頃に自身の解釈を込めて、それぞれ『草上の昼食』を制作しています。
読んだらクイズ
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左下に置かれた脱いだ服女性が脱いだ服は、パンやワインなどピクニックの持ち物とともに画面左下にまとめて描かれています。マネはこうして神話の中の裸婦ではなく、「現実の裸体の女性」を描こうとしました。
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よくある疑問
- 『草上の昼食』はどこにある?
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フランス・パリのオルセー美術館の所蔵です。同じ1863年に描かれた『オランピア』とともにマネの代表作とされています。
- モデルは誰?
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裸婦のモデルはヴィクトリーヌ・ムーランです。『オランピア』をはじめ、1860年代から1870年代前半にかけてのマネの多くの作品でモデルを務めました。
- なぜスキャンダルになったの?
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当時、裸体の女性は神話や歴史の場面に限って描かれるものでした。マネは神話ではなく同時代の現実の中に裸の女性を描いたため、サロンでは不道徳として落選し、落選展でも批判の的になりました。
- なぜ『草上の昼食』という題名なの?
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発表時の題名は『水浴』でした。1866年にモネが同じ『草上の昼食』という題名の作品を描いたことを意識し、マネは1867年に自作の題名を『水浴』から『草上の昼食』へと改めています。
エドゥアール・マネのほかの作品
《オランピア》 《笛を吹く少年》 《バラ色のくつ(ベルト・モリゾ)》 《アスパラガスの束》 《フォリー・ベルジェールのバー》
出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル



