キオス島の虐殺

ウジェーヌ・ドラクロワ《キオス島の虐殺》1824年
キオス島の虐殺The Massacre at Chios
1824年
油彩、カンヴァス、354 × 419 cm
ルーヴル美術館(パリ)

この作品のデータ

作者ウジェーヌ・ドラクロワ同じ作家の作品 6点
制作年1824年
時代近代同じ時代の作品 43点
様式ロマン主義同じ様式の作品 17点
種別絵画
技法・素材油彩、カンヴァス
所蔵ルーヴル美術館パリ同じ所蔵の作品 26点
有名度★★★名画クイズで出題(全作品の解放)
何がすごいのか

報道写真がまだ存在しなかった1820年代に、この絵は絵画によるイメージでヨーロッパ市民の目をギリシャ独立問題に向けさせました。遠近法を無視した構図は2つの人物のピラミッドで組まれています。フランスやイギリスがギリシャ独立支援に動いた世論の高まりには、この絵も影響したとされています。

見どころ

馬上のトルコ人司令官

右側のピラミッドの頂点には、馬に乗ったトルコ人司令官が全裸のギリシャ人女性をつるし上げる姿が描かれています。

死んだ母にすがる幼児

司令官の下には、亡くなった母親にすがりつく幼児と、あらぬ方を見やる老婆が描かれています。絶望と弾圧への強い意志が表現されています。

2つの人物ピラミッド

画面は遠近法を無視し、左右2つの人物のピラミッドで構成されています。虐殺の犠牲者たちが積み重なるように配置されています。

進行中の独立戦争を描く

1820年末からギリシャ独立のための武装蜂起が始まり、1821年3月にはギリシャ独立戦争として一連の戦闘が始まりました。トルコ側による鎮圧は過酷なもので、1822年にはキオス島で独立派を鎮圧するための虐殺が数か月にわたって続きました。ドラクロワはこの事件をキャンバスに描いています。

独立を後押しした一枚

人物写真がまだ存在せず活字報道だけだった時代に、この絵は絵画によるイメージという手法でヨーロッパ市民の関心をギリシャ独立へ向けさせました。こうした世論の高まりを背景に、フランスやイギリスがギリシャ独立勢力の支援に動き、1830年2月にギリシャの完全独立が合意されています。

同じ1830年、ドラクロワはパリの七月革命を『民衆を導く自由の女神』に描いています。

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よくある疑問

『キオス島の虐殺』はどこにある?

パリのルーヴル美術館が所蔵しています。

誰が描いた?

フランスのロマン主義を代表する画家ウジェーヌ・ドラクロワが、1824年に完成させました。

何が描かれている?

1822年、オスマン帝国統治下のキオス島(ヒオス島)で、独立を求めるギリシャ人住民をトルコ軍兵士が虐殺した事件の一場面です。1821年に始まったギリシャ独立戦争のさなかの出来事でした。

この絵はギリシャ独立にどう関わった?

人物写真もなく活字報道だけだった1820年代に、絵画によるイメージという手法でヨーロッパ市民の目をギリシャ独立問題に向けさせました。この絵をふくむ世論の高まりを背景に、フランスやイギリスがギリシャ独立勢力の支援に動いたとされています。ギリシャは1830年に独立が合意され、1832年に完全独立国として承認されました。

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ウジェーヌ・ドラクロワのほかの作品

《ダンテの小舟》 《墓場の少女》 《サルダナパールの死》 《民衆を導く自由の女神》

出典・画像について

画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル

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