
この作品のデータ
| 作者 | カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ | 同じ作家の作品 2点 |
|---|---|---|
| 制作年 | 1823〜1824年 | |
| 時代 | 近代 | 同じ時代の作品 43点 |
| 様式 | ロマン主義 | 同じ様式の作品 17点 |
| 種別 | 絵画 | |
| 技法・素材 | 油彩、カンヴァス | |
| 所蔵 | ハンブルク美術館ハンブルク | 同じ所蔵の作品 2点 |
| 有名度 | ★★★名画クイズで出題(全作品の解放) |
フリードリヒは13歳のとき、氷の割れ目に落ちた自分を助けようとした弟を溺死させてしまいました。この絵は生前ほとんど評価されず、死ぬまで売れ残りました。ハンブルク美術館の所蔵になったのは、彼の死から65年後のことです。
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見どころ
氷にうずもれた難破船
画面中央には、大きな氷塊が張り詰めた氷に衝突して盛り上がる様子が描かれています。埋もれた船が、航路の過酷さを見る者に伝えています。
手前の階段状の氷床
画面の前方には、階段状に積み重なった氷床が描かれています。フリードリヒは1820年から1821年にかけて実物の流氷をスケッチしており、その構図が流用されています。
氷の先に広がる空
天を衝くように隆起する中央の氷塊の先には、高い透明度を持った空が広がっています。人の姿のない冷酷な風景の中に、苦闘の果ての救いを示唆する光が差し込んでいます。
13歳で見た弟の死
フリードリヒは13歳の頃、故郷グライフスヴァルトの川でスケートを楽しんでいた際に氷の割れ目に落ちてしまい、これを助けようとした1歳年下の弟クリストファーが溺死する事件に遭いました。この事件はフリードリヒの陰鬱な性格を助長し、生涯を通してその十字架と向き合うことになったとされます。氷河に阻まれて難破した船をテーマとする作品を若い頃から繰り返し手がけていた背景には、この弟の存在があったとも言われています。
生前は評価されなかった代表作
本作は北極探検ブームに影響を受けたロマン主義の一作ですが、展覧会に出品されると酷評され、フリードリヒが1840年に死去するまで売れ残りました。人間描写や激しい波風を描いた同時代の他の難破船絵画とは違い、静寂な水平線と鋭角的な氷塊だけを描いた『氷の海』は、鑑賞者を疲れさせると揶揄されたといいます。1905年にハンブルク美術館の所蔵となって以降、19世紀を代表する作品の1つとして再評価されるようになりました。
読んだらクイズ
この拡大は、どの見どころ?

手前の階段状の氷床画面の前方には、階段状に積み重なった氷床が描かれています。フリードリヒは1820年から1821年にかけて実物の流氷をスケッチしており、その構図が流用されています。
次に見る1枚
よくある疑問
- 『氷の海』はどこにある?
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ハンブルク美術館の所蔵です。1905年に美術史家アルフレッド・リヒトヴァルクの手引きで、フリードリヒの弟子だった画家ヨハン・クリスチャン・ダールの遺族から3,000マルクで購入されました。
- なぜタイトルが複数ある?
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フリードリヒは主題が限定されることを避けるため、作品にタイトルを付けない傾向がありました。後世に『氷海』『氷の海』『北極海』など複数の名で呼ばれ、日本語名にも研究者間で揺れがあります。1822年制作で現存しない別作品『希望号の難破』としばしば混同されてきました。
- 実際の遭難事故を描いた?
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この作品自体は特定の実在の事故を描いたものではなく、フリードリヒの空想上の世界観を油彩で表現したものです。1820年から1821年にかけて描いた実物の流氷のスケッチを構図に取り入れています。混同されやすい別作品『希望号の難破』は、実在の北極探検船グリーパー号の遭難事故をモチーフにしています。
- なぜ生前売れなかった?
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難破船を描いたロマン派画家の作品は当時大いに流行していましたが、人間描写や激しい波風のない『氷の海』は奇異な目で見られました。1826年のベルリン展覧会でこの絵を見たプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は「北国の巨大な氷はこんなに変った形をしているものかね」と酷評しています。
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出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル



