
この作品のデータ
| 作者 | ジャン=フランソワ・ミレー | 同じ作家の作品 4点 |
|---|---|---|
| 制作年 | 1850年 | |
| 時代 | 近代 | 同じ時代の作品 43点 |
| 様式 | バルビゾン派 | 同じ様式の作品 5点 |
| 種別 | 絵画 | |
| 技法・素材 | 油彩、カンヴァス | |
| 所蔵 | ボストン美術館ボストン | 同じ所蔵の作品 2点 |
| 有名度 | ★★★名画クイズで出題(全作品の解放) |
『種まく人』のモデルは、当時のパリの美術界から「醜い」と非難された農民でした。批評家テオフィル・ゴーティエは「鏝でこすった跡」と酷評しましたが、後年ゴッホはこの絵に感銘を受け、明るい色でたびたび模写しています。
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見どころ
大股で種をまく男
麦わらを脚に巻いて防寒し、種袋を肩にかけた農夫が、大股で歩きながら右手で種をまいています。低い視点から画面いっぱいに描かれ、農夫の存在感を強めています。
夜明けと畑を狙う鴉
画面上部には太陽が輝き、夜明けであることを示しています。左側には、まかれたばかりの種をついばむ鴉が数羽描かれています。
遠景で働くもう1人の農夫
画面右奥には、牛を使って土をならす別の農夫の姿が小さく描かれています。種まきの準備をする作業で、手前の農夫と対をなしています。
バルビゾン村と農民画
ミレーは1849年、パリ郊外フォンテーヌブローの森にあるバルビゾン村へ移り住みました。ここでバルビゾン派の画家仲間と、伝統的なロマン主義の劇的な風景とは対照的な、抑えた色調の写実的な風景や画題を描いていきます。農民の子であったミレー自身、農村の厳しい労働を尊厳と真剣さをもって描き続けました。素朴な農民をこれほど大きく描くことは当時の美術界では新しく、社会的写実主義として物議を醸しました。
巨人のように描かれた農夫
美術史家アンシア・キャレンは、ミレーが農夫の体を意図的に引き伸ばし、筋骨たくましい巨人のような姿に変えたと指摘しています。低い視点と画面を占める体の大きさが相まって、1850年当時のパリの中産階級にはこの農夫が威圧的に映ったとされています。ミレーはこの画題を1847〜48年に初めて手がけており(現在はウェールズ国立美術館蔵)、その版では地平線が高く、農夫の存在感も控えめでした。ボストン版・甲府版の後もミレーはこの主題に少なくとも3回立ち返り、ピッツバーグのカーネギー美術館やウィリアムズタウンのクラーク美術館、ボルチモアのウォルターズ美術館にそれぞれ別バージョンが残っています。
読んだらクイズ
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夜明けと畑を狙う鴉画面上部には太陽が輝き、夜明けであることを示しています。左側には、まかれたばかりの種をついばむ鴉が数羽描かれています。
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よくある疑問
- 『種まく人』はどこにある?
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アメリカのボストン美術館が1917年から所蔵しています。ほぼ同じ構図の別バージョンは、山梨県立美術館(甲府)が所蔵しています。
- 誰が描いた?
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フランスの画家ジャン=フランソワ・ミレーが1850年に描きました。ミレーがバルビゾン村に移り住んで最初に手がけた本格的な作品です。
- なぜ「醜い」と非難された?
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当時のパリの美術界では、素朴な農民の労働をこれほど大きく描くこと自体が新しく、物議を醸しました。批評家テオフィル・ゴーティエは「鏝でこすった跡」と酷評しましたが、クレマン・ド・リスは「動きに満ちた力強い習作」と称賛しています。
- ゴッホとの関係は?
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ゴッホはミレーの農村風景に感銘を受け、『種まく人』を自作の中で何度も模写しました。ただし色づかいはミレーよりも明るい色に変えています。
ジャン=フランソワ・ミレーのほかの作品
出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル



