画家のアトリエ

ギュスターヴ・クールベ《画家のアトリエ》1855年
画家のアトリエThe Painter’s Studio
1855年
油彩、カンヴァス、361 × 598 cm
オルセー美術館(パリ)
何がすごいのか

クールベは本作を1855年のパリ万国博覧会に出品しようとしましたが、サロンから落選を告げられました。抗議のため、彼は公式会場のすぐそばに私費で展示館を建てて対抗展示し、後の「落選展」の先駆けとなりました。高さ361cmという壁一枚分の大作です。

見どころ

中央のクールベと裸婦

画面中央では、クールベ自身が生まれ故郷を流れるルー川の風景画を描いています。すぐそばには裸婦、幼い少年、白い猫がいて、裸婦はアカデミックな芸術を象徴するとも、写実主義のミューズとも解釈されています。

左側の日常を生きる人々

左側には、フランスの日常生活を送る人々が描かれています。クールベのイーゼルの左には捻じ曲げられた人形のような人物があり、美術史家はアカデミー芸術の「死」の象徴と解釈しています。

右側に集うパリの名士

右側には、詩人シャルル・ボードレールや哲学者ピエール・ジョゼフ・プルードン、クールベの重要な支援者アルフレッド・ブリュイヤスなど、画家の人生に関わった友人たちが並んでいます。多くはオルナンの地で、既存の肖像画や写真をもとに描かれました。

落選から個展へ

クールベは本作をフランスのオルナンで1855年に制作しました。パリ万国博覧会の審査員団はクールベの作品11点を出品可としましたが、『画家のアトリエ』は選から漏れました。クールベは抗議の意を込め、支援者アルフレッド・ブリュイヤスの協力を得て、公式会場の近くに自作を展示する施設「写実主義パビリオン」を設けました。これが、後にさまざまな形で繰り返される落選展の先駆けとなりました。

本作を賞賛した者はほとんどおらず、画家ウジェーヌ・ドラクロワらごく少数が支持したのみでした。クールベ自身は本作について、社会の最良の部分、最悪の部分、平均的な部分を表現していると述べています。

画面に隠された寓意

クールベは当初、アトリエ奥の壁に自作の模写を多数並べる構想を持っていました。制作に時間の余裕がなく、この部分は赤茶色の下地のような色で塗りつぶされています。

画面左側の猟師の足元には、ギター、ダガー、羽根つき帽子、靴などが積み上げられており、ロマン主義の死を象徴すると解釈されています。新聞紙の上に置かれた頭蓋骨も、アカデミー芸術の死の象徴とされます。クールベが画中画にルー川の風景を選んだのは、生まれ故郷への挑戦的な地方主義の表明だったともいわれています。

よくある疑問

『画家のアトリエ』はどこにある?

パリのオルセー美術館の所蔵です。高さ361cm、幅598cmという壁一枚分の大きさで、「我が芸術的生活の七年に及ぶ一時期を定義する写実的寓意画」という長い副題が付けられています。

なぜサロンに落選した?

1855年のパリ万国博覧会の審査員団はクールベの作品11点を出品可としましたが、本作だけは選外とされました。クールベは抗議の意味を込め、支援者ブリュイヤスの協力で公式会場のそばに私費の展示館「写実主義パビリオン」を建てて対抗展示し、これが後の落選展の先駆けになったといわれています。

何が描かれている?

画面は3つの群像に分かれています。左側にはフランスの日常を生きる人々、中央には風景画を描くクールベ本人、右側には詩人や思想家などクールベの人生に関わった友人たちが配置されています。

副題の「写実的寓意画」とはどういう意味?

現実(写実)と寓意という、本来矛盾する2つの言葉を組み合わせた撞着語法です。クールベがこの表現で何を意図したのかは、今も研究者の間で議論が分かれています。

基本データ

制作年
1855年
種別
絵画
技法・素材
油彩、カンヴァス
寸法
361 × 598 cm
様式
写実主義
所蔵
オルセー美術館(パリ)
展示室
近代

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《オルナンの埋葬》

出典・画像について

画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル

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