民衆を導く自由の女神

ウジェーヌ・ドラクロワ《民衆を導く自由の女神》1830年
民衆を導く自由の女神Liberty Leading the People
1830年
油彩、カンヴァス、260 × 325 cm
ルーヴル美術館(パリ)

この作品のデータ

作者ウジェーヌ・ドラクロワ同じ作家の作品 6点
制作年1830年
時代近代同じ時代の作品 43点
様式ロマン主義同じ様式の作品 17点
種別絵画
技法・素材油彩、カンヴァス
所蔵ルーヴル美術館パリ同じ所蔵の作品 26点
有名度★★★名画クイズの無料の54点に収録
何がすごいのか

ウジェーヌ・ドラクロワが1830年の七月革命を、その年のうちに描いた絵です。英題は Liberty Leading the People で、パリのルーヴル美術館が所蔵しています。1789年のフランス革命の絵ではありません。政府は革命の記念に買い上げましたが、扇動的すぎるとして16年間しまい込みました。女性は実在の人物ではなく「自由」そのものです。

見どころ

フリギア帽と三色旗

女性がかぶる赤い帽子はフリギア帽。フランス革命のあいだに自由の象徴になりました。右手に三色旗、左手に銃剣つきのマスケット銃。フランスの象徴「マリアンヌ」の代表的な姿です。

シルクハットの男

女性の左でマスケット銃を構えるシルクハットの男は、ドラクロワ自身だと説明されることが多い人物です。友人フレデリック・ヴィヨがモデルという説もあります。

二丁拳銃の少年

右隣で両手に拳銃を持つ少年は、誰をモデルにしたのか不明です。ユゴーの『レ・ミゼラブル』のガヴローシュはこの少年から着想を得たといわれています。

バリケードを越える人々

描かれているのは、1830年7月28日のパリで、倒れた仲間を越えて進む市民たちです。三色旗を掲げる「自由」のまわりには、シルクハットの若者(ブルジョワ)や、二角帽をかぶった名門エコール・ポリテクニーク(理工科学校)の学生がいます。身分の違う人々が同じ側で戦っていることが、この絵の要点です。

手前には倒れた市民や兵士の遺体と瓦礫が積み重なり、その上を人々が進みます。遠景の右には煙の向こうにノートルダム大聖堂の塔が見え、塔の上にも小さな三色旗がひるがえっています。

ドラクロワ自身は戦闘に加わっていません。1830年10月21日の兄への手紙には「祖国のために敵を倒せなかったにせよ、祖国のために絵を描くことはできる」と書いています。絵は同じ年の12月に完成しました。

買い上げられて、しまわれた

1831年5月のサロンに出品されると、フランス政府は革命を記念するとして3,000フランで買い上げました。ところが翌1832年の六月暴動以降、あまりに政治的で扇動的だという理由で、1848年革命までの16年間は恒常的な展示が行われませんでした。

ドラクロワが描いた同時代の事件

ドラクロワが実際の事件を大きな画面に描いたのは、この絵が初めてではありません。6年前の『キオス島の虐殺』(1824年)では、ギリシャ独立戦争のさなかの1822年に起きた虐殺を描いています。サロンへのデビュー作『ダンテの小舟』(1822年)も、当初はギリシャ独立戦争を描く案から出発しました。

同じルーヴル美術館には、実際の海難事件を描いたジェリコーの『メデューズ号の筏』(1818〜1819年)もあります。若いドラクロワはこの絵のモデルを務めました。

2024年の修復と引用

2023年9月から、ルーヴル美術館がこの絵を修復しました。8層のワニスと汚れを除くと、女性の服は黄色ではなく明るい灰色に金を差した色だったとわかりました。黄色く見えたのは1949年の修復のためと考えられています。絵は2024年4月に展示へ戻りました。

コールドプレイの2008年のアルバム『Viva la Vida or Death and All His Friends』(邦題『美しき生命』)のジャケットや、フランスの旧100フラン紙幣にも使われました。

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よくある疑問

『民衆を導く自由の女神』はどこにある?

パリのルーヴル美術館が1874年から所蔵しています。1999年に「日本におけるフランス年」の交流展で東京国立博物館に1か月間貸し出され、代わりに法隆寺の百済観音像がフランスへ渡りました。

なぜ胸を出しているの?

この女性は実在の人物ではなく「自由」の寓意(アレゴリー)で、乳房は母性、つまり祖国を表しています。原題は「民衆を導く自由」で、「女神」という言葉は日本での慣習的な訳です。

何の場面?フランス革命の絵?

1830年7月27日から29日にかけて国王シャルル10世を退位させた、フランス七月革命です。1789年のフランス革命の絵だと誤解されることがありますが、別の革命です。1831年のサロンには『1830年7月28日』という題で出品されました。兄への手紙でドラクロワは「時事的な主題、つまりバリケードの絵を描くことにした」と書いています。

英語やフランス語のタイトルは?

英題は Liberty Leading the People です。ルーヴル美術館での正式な題は Le 28 juillet 1830. La Liberté guidant le peuple(1830年7月28日 民衆を導く自由)で、Une Barricade(バリケード)とも呼ばれます。

ニューヨークの自由の女神像と関係ある?

バルトルディ作の自由の女神像(Liberty Enlightening the World)は、この絵に着想を得たとされます(英語版 Wikipedia)。像がフランスから贈られたのは、絵の約半世紀後です。

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ウジェーヌ・ドラクロワのほかの作品

《ダンテの小舟》 《キオス島の虐殺》 《墓場の少女》 《サルダナパールの死》

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