富嶽三十六景 山下白雨

葛飾北斎《富嶽三十六景 山下白雨》1831年頃(天保2年)
葛飾北斎Katsushika Hokusai
富嶽三十六景 山下白雨Lightnings below the summit
1831年頃(天保2年)
多色刷木版画、25.3 × 36.6 cm
何がすごいのか

『凱風快晴』が「赤富士」と呼ばれるのに対し、こちらは「黒富士」と呼ばれています。稲妻が走る富士山を描いていますが、どこから見た構図かは特定されておらず、3D地図ソフトの解析では上空約3000メートルからの視点と一致すると報告されています。

見どころ

黒く沈む富士

『凱風快晴』の富士が朝日に赤く染まる「赤富士」なのに対し、本作の富士は黒く沈んで見えることから「黒富士」と呼ばれています。

山肌を裂く稲妻

富士に大きな稲妻が走る様子が描かれています。「神奈川沖浪裏」「凱風快晴」とともに三大役物と呼ばれる代表作のひとつです。

地上にはない視点

雨雲がたなびく様子から、地上からの視点ではないと指摘されています。剣が峰の位置や周囲の山並みの見え方も、通常の富士見の名所とは異なっています。

黒富士と呼ばれる理由

本作は『富嶽三十六景』全46図の1図で、「神奈川沖浪裏」「凱風快晴」とともに三大役物と呼ばれる代表作です。同じ三大役物の『凱風快晴』が朝日に赤く染まる富士を描き「赤富士」と呼ばれるのに対し、本作の富士は稲妻の走る空の下で黒く沈んで見えることから「黒富士」と呼ばれています。落款は「北斎改為一筆」、版元は永寿堂西村屋与八です。

特定できない視点

『富嶽三十六景』46図のうち、本作と『凱風快晴』『遠江山中』の3点は、どこから見た景色なのかが確定していません。立体地図ソフトを駆使して富士見のポイントを調査した研究者は、剣が峰が右寄りに見える点、左側に御坂山地とみられる山並みが見える点、雨雲や雷が描かれている点などから解析を行い、JR富士宮駅の北西約6キロメートル、上空約3000メートルからの視点とほぼ一致すると報告しています。地上には存在しない視点から描かれた可能性があるということです。

刊行年をめぐる説

刊行年は1831年(天保2年)とする説が有力です。同年正月に版元の永寿堂から刊行された柳亭種彦『正本製』の巻末に、三十六景の刊行予告が載っていることが根拠のひとつです。落款「北斎改為一筆」は『富嶽三十六景』に見られる5種類の落款のうちもっとも早く刊行されたとされ、この点でも1831年刊行説を裏づけています。一方でエドモン・ド・ゴンクールの著書『北斎』の記述をもとに、1823年から1829年の刊行とする説もあります。

よくある疑問

『山下白雨』はどこで見られる?

木版画のため原本は1点ではなく、複数枚が摺られています。どの美術館が所蔵しているかは、ここでは判明していません。

なぜ「黒富士」と呼ばれる?

同じ『富嶽三十六景』の中の『凱風快晴』が朝焼けで赤く染まる富士を描き「赤富士」と呼ばれるのに対し、本作の富士は黒っぽく描かれているためです。

どこから見た景色?

『富嶽三十六景』全46図のうち、本作と『凱風快晴』『遠江山中』の3点は、どこから見た図なのか確定できていません。3D地図ソフトを使った研究者の解析では、JR富士宮駅の北西約6キロメートル、上空約3000メートルからの視点とほぼ一致すると報告されています。

いつ制作された?

1831年(天保2年)の刊行と考えられています。同年正月に版元の永寿堂から出た別の本の巻末広告が根拠のひとつです。ただしエドモン・ド・ゴンクールの記述をもとに、1823年から1829年の刊行とする説もあります。

基本データ

作者
葛飾北斎Katsushika Hokusai
制作年
1831年頃(天保2年)
種別
浮世絵
技法・素材
多色刷木版画
寸法
25.3 × 36.6 cm

葛飾北斎のほかの作品

《神奈川沖浪裏》 《富嶽三十六景 凱風快晴》

出典・画像について

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