
この作品のデータ
| 作者 | 歌川広重 | 同じ作家の作品 6点 |
|---|---|---|
| 制作年 | 天保5年(1834年)頃 | |
| 時代 | 日本・近世まで | 同じ時代の作品 42点 |
| 様式 | 浮世絵 | 同じ様式の作品 12点 |
| 種別 | 浮世絵 | |
| 技法・素材 | 多色摺木版画(大判錦絵) | |
| 所蔵 | — | |
| 有名度 | ★★★名画クイズで出題(全作品の解放) | |
| 展覧会 | 特別展 内山晋コレクション受贈記念「歌川広重 江戸のベストアングル」東京国立博物館 本館(東京都)2026年9月29日(火)〜12月20日(日) | 開催中 |
この一図は、歌川広重の連作『東海道五拾三次之内』の記念すべき第一図です。保永堂が版行したこの揃物は評判を呼び、当時の書物には「きんねんの大あたりだ」と書かれるほどの人気になりました。摺りの総数は2万枚以上にのぼったと推定されています。
この絵の作者を覚えているかは、名画クイズ(iPhone アプリ)で確かめられます。
見どころ
朝之景・行列振出
図版番号1の日本橋には、保永堂版の副題として「朝之景」、別称として「行列振出」が伝わっています。描かれているのは日本橋、大名行列、振売、朝の情景とされています。
保永堂版の成功
版元の保永堂は天保4年(1833年)に興った新興の版元でした。全55図完結後には「きんねんの大あたりだ」と評されるほどの人気となり、摺りの総数は2万枚以上に及んだと推定されています。
広重が目指した「真景」
広重は北斎による演出的な画に反感を抱き、自らは景観を忠実に描く「真景」を旨としたと伝えられています。研究者からは、実際には広重の絵にも一定の演出があったとの指摘もあります。
保永堂という新興版元
『東海道五拾三次之内』を版行した保永堂は、天保4年(1833年)に興った新興の版元でした。なぜ新興の版元が大部の揃物を手がけられたかについては、主人の竹内孫八が広重と狂歌仲間だったからとする説など、複数の説が伝わっています。当初は仙鶴堂との合版で、日本橋を含む11図はこの合版として世に出ました。
忠実な景観を描く「真景」
広重は、北斎による演出的な画に反感を抱き、自らは景観を忠実に描く「真景」を旨としたと伝えられています。もっとも後年の研究者は、実際の写真と広重の絵を比べると、山の稜線や道の描き方に一定の演出が見られると指摘しています。全図が完結すると画帖仕立ての版も上梓され、揃物としての完成度の高さも評価されました。
よくある疑問
- 『日本橋 朝之景』はどこにある?
-
『東海道五拾三次之内』は保永堂から2万枚以上摺られた人気の揃物で、各図の摺り物は国内外の複数の美術館・博物館に分散して所蔵されています。この一図についての所蔵先は明らかになっていません。
- 『東海道五拾三次』とはどんな作品?
-
歌川広重が手がけた、東海道の宿駅を中心とした景観や習俗を描く浮世絵の揃物です。天保5年(1834年)頃、保永堂・仙鶴堂の合版として版行され、全55図から成ります。
- なぜ広重は東海道を描いた?
-
明治期の研究者は、広重が幕府の内命で上洛した際に見た山水に深く感じるところがあり、山水画を志すきっかけになったと伝えていますが、この上洛説には後の研究者から複数の疑問も呈されており、確たることはわかっていません。
- なぜこれほど人気になった?
-
天保10年(1839年)の書物には「たれでも此ゑをそろへてへといつてゐるぜ」「きんねんの大あたりだ」と記されており、同時代から評判を集めていたことがわかります。摺りの総数は2万枚以上と推定され、当時の他の浮世絵と比べても突出した数です。
歌川広重のほかの作品
《東都名所 日本橋之白雨》 《木曽海道六拾九次之内 洗馬》 《名所江戸百景 大はしあたけの夕立》 《名所江戸百景 亀戸梅屋舗》 《名所江戸百景 浅草田甫酉の町詣》
出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル
