
「雪松図屏風」は、円山応挙の主要な支援者だった豪商・三井家に伝来した作品です。応挙の代表作の多くは寺院に伝わったものですが、この屏風は三井家から今日の三井記念美術館へと受け継がれ、国宝に指定されています。
見どころ
三井家に伝わった屏風
応挙の主要な支援者(パトロン)は三井寺円満院門主の祐常、豪商三井家、妙法院門跡真仁法親王でした。代表作『七難七福図』などが円満院に伝来したのに対し、『雪松図』は三井家に伝来したという点で異なります。
写生を重視した画風
応挙は近世日本の画家のなかでも際立って写生を重視したことで知られ、常に懐中に写生帖を忍ばせていたと伝えられています。写生の技術を基礎にしながら、日本絵画の伝統的な画題を装飾性豊かな画面に仕立てるのが特色です。
落款と印章
各隻に「應舉寫」の落款が記され、「應舉之印」「仲選」の印章が押されています。天明6年(1786年)頃の作とされています。
眼鏡絵から写生へ
円山応挙は丹波国の農家の次男として生まれ、10代の後半に京へ出て石田幽汀に師事しました。20代の修行期には、西洋画の遠近法を応用した「眼鏡絵」の制作にも携わっています。1766年頃から「応挙」を名乗るようになり、この頃から常に写生帖を持ち歩き、動物や植物をさまざまな角度から観察して描く姿勢を貫きました。
三井家という支援者
応挙の主要な支援者は、三井寺円満院門主の祐常、豪商三井家、妙法院門跡真仁法親王でした。代表作の多くが寺院に伝来したのに対し、「雪松図」は三井家に伝わった作品です。卓越した画技と親しみやすい画風から、応挙の絵は三井家をはじめとする富裕な町人層に好まれました。応挙は寛政7年(1795年)、63歳で亡くなっています。
よくある疑問
- 『雪松図屏風』はどこにある?
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東京の三井記念美術館の所蔵です。三井文庫の所蔵品を三井記念美術館が保管しており、国宝に指定されています。
- なぜ国宝に指定されている?
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文化財保護法に基づき国宝に指定されている作品ですが、指定理由の詳細についてはここではわかっていません。
- 円山応挙とはどんな画家?
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江戸時代中期から後期に活動した絵師で、写生を重視した画風で知られる円山派の祖です。三井家をはじめとする富裕な町人層に好まれました。
- 落款は何と書かれている?
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各隻に「應舉寫」の落款があり、「應舉之印」「仲選」の印章が押されています。
基本データ
出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル