
批評家ルイ・ルロワが軽蔑を込めて『印象主義』と呼んだことから、この一枚が「印象派」という名前の由来になりました。この絵は1985年に盗まれ、1990年に発見されるまで5年間行方不明でした。2014年の天文学的調査で、描かれたのは1872年11月13日午前7時35分頃と特定されています。
見どころ
空を染める太陽
画面には赤みを帯びた太陽と、水面に伸びるその反射だけが際立って描かれています。伝統的な風景画とは違い、水平線を画面の上寄りに置くことで水面を大きくとらえています。
背景のクレーンとマスト
右側に見えるのは土を掘り出すための手動式回転クレーン「ア・ブラ」です。その奥に立つ3本の垂直線は、当時完成したばかりのミ=マレ船渠に停泊する船のマストです。
開いた水門
画面中央にはトランザトランティク水門が描かれています。門が開いていることから、満潮の時刻を描いた場面だとわかります。
忘れられていた50年
1874年の第1回印象派展のあと、この絵はエルネスト・オシュデのコレクションに加わりましたが関心は薄れ、1878年には『印象・日の入り』の名前で競売にかけられました。落札したのはルーマニア出身の貴族ジョルジュ・ド・ベリオで、彼の死後は娘夫婦に相続されましたが、当時はまだ人気のある作品ではありませんでした。1900年のパリ万博では同じ夫妻が所蔵する他のモネ作品が貸し出された一方、この絵だけは万博で必要とされませんでした。
沈黙のまま迎えた寄贈
1932年、美術愛好家ポール・マルモッタンが自宅をアカデミーに遺贈し、これが後のマルモッタン美術館になりました。ドノ・ド・モンシー夫妻はこの美術館にコレクションを遺贈することを決め、『印象』は1940年に正式な所蔵品となります。しかし専用展示室が完成した1948年の開会式でもこの絵への言及はなく、最初に刊行された絵はがきにも含まれていませんでした。
海外の本がもたらした再評価
傑作としての地位は海外からもたらされました。ジョン・リヴォルドの著作『印象派の歴史』が『印象』を印象派の名の由来として世に知らしめ、これを機に注目を集めるようになります。フランス語訳が出版された2年後の1957年、所有者のヴィクトリーヌ夫人はこの絵をフランスから持ち出すことを禁じ、西洋近代絵画の至宝としての地位を確立しました。
よくある疑問
- 『印象・日の出』はどこにある?
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フランス・パリのマルモッタン・モネ美術館の所蔵です。1966年から所蔵されていますが、1985年に盗まれ、1990年に発見されて1991年から再び展示されています。
- なぜ「印象派」という名前の由来になったの?
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1874年の第1回展にこの絵が出品された際、批評家ルイ・ルロワが自身の記事でこの展覧会を軽蔑の意味を込めて「印象主義の展覧会」と評しました。この呼び名がそのまま定着し、彼は意図せず「印象派」の名付け親になりました。
- 制作年はいつ?
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画面には「Claude Monet 72」というサインがありますが、長らく誤記とされ1873年制作という説が有力でした。2014年に天文学者による調査が行われ、太陽の位置や潮位から「1872年11月13日午前7時35分頃」の風景である可能性が高いと結論づけられました。
- 日の出と日の入り、どちらを描いている?
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日の出です。1878年の競売カタログに『印象・日の入り』と記載されていたことから日没説もありましたが、2014年の調査でホテルの位置や水門、太陽の位置から港の南東で日が昇る時刻を描いたと確定しました。
基本データ
クロード・モネのほかの作品
出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル