
モネは晩年、白内障で絵を描けないほど視力が低下しながらも大作を描き続けました。国家に寄贈した壁画はパリのオランジュリー美術館のために作られましたが、モネ本人はこの壁画の公開を見ることなく世を去っています。生前に手放した数少ない作品の一枚は戦時中に行方不明となり、2016年にルーヴル美術館の倉庫で発見されました。
見どころ
岸を描かない水面
画面には池の岸辺が描かれず、水面だけが画面いっぱいに広がっています。モネは制作を重ねるうちに地上の要素を減らし、画面の外まで水面が続いているように見せる構成にたどり着きました。
水に映る空と木の反映
水面には実際には描かれていない空や樹木が、反射する虚像として浮かび上がります。実在する睡蓮の葉と、映り込みという虚像が同じ画面の中で交錯しています。
浮かぶ睡蓮の葉
水面に浮かぶ睡蓮の葉は、輪郭を厳密にたどらない自由な筆致で描かれています。遠近法で奥行きを示すのではなく、色と筆触の重なりだけで水面の広がりを感じさせます。
偶然始まった「水の庭」
1883年、モネは列車の事故でたまたま停車した先がジヴェルニーだったことをきっかけにこの土地を気に入り、移り住みました。1893年に自邸の南側の土地を買い増して池を造成し、1895年には「日本風の橋」を架けています。橋は日本で見られるような朱塗りではなく、緑色に塗られました。
国家への寄贈と死後の公開
モネは19世紀末から、一部屋を『睡蓮』の巨大な画面で埋めつくす「大装飾画」の構想を温めていました。1918年、第一次世界大戦の休戦協定が結ばれた翌日、モネは友人でフランス首相のクレマンソーに壁画の国家寄贈を申し出る書簡を送っています。当初予定されていた円形パビリオンの建設は財政難で実現せず、展示先はオランジュリー美術館に変更されました。モネは1926年に死去し、壁画が公開されたのは翌1927年のことです。
日本に渡った1枚
モネが生前に手放した数少ない「大装飾画」関連作品のうち2点は、1921年から1922年にかけて日本人収集家の松方幸次郎に売却されました。このうち1点は1959年に開館した国立西洋美術館に収蔵されましたが、もう1点は第二次大戦中の疎開先で損傷し長く行方不明になっていました。2016年、ルーヴル美術館に保管されていたことが判明し、松方家から国立西洋美術館に寄贈されています。
よくある疑問
- 『睡蓮』はどこにある?
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『睡蓮』はモネが晩年に何度も描いた連作で、収蔵先は一つではありません。この作品はアメリカ・ピッツバーグのカーネギー美術館に所蔵されています。国家に寄贈された大装飾画はパリのオランジュリー美術館に、東京の国立西洋美術館にも別の1点が所蔵されています。
- なぜ岸辺が描かれていないの?
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モネは制作を重ねるうちに、池の岸の地面を徐々に描かなくなりました。1906年以降のほとんどの作品では画面全体を水面が占め、水面に映る空や樹木の反映によって画面の外まで景色が続いていることを暗示しています。
- モネはなぜこのモチーフを選んだの?
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1883年、モネは列車がたまたま停車した先でジヴェルニーという土地を気に入り、そこに移り住みました。自邸の敷地に「水の庭」と呼ばれる池を造成し、そこに咲く睡蓮を晩年の主要なモチーフとしました。
- モネはこの壁画の完成を見届けた?
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パリのオランジュリー美術館の壁画については見届けられませんでした。モネは1926年12月に死去し、壁画が公開されたのは翌1927年5月で、彼の生前には一般公開されていません。
基本データ
クロード・モネのほかの作品
出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(CC BY-SA 3.0、撮影: Rufus46)。元ファイル