
モネは1892年と1893年、ルーアン大聖堂の正面をほぼ同じ構図で30点あまり描き続けました。目的は建物ではなく光の移り変わりを捉えることです。制作中は疲れ果て、「大聖堂が崩れ落ちてくる」悪夢を見たと妻への手紙に書いています。作品は世界各地の美術館に散らばっています。
見どころ
扉口を包む構図
画面の中心には大聖堂の扉口(正面入口)が据えられています。ほぼ同じ位置から30点あまり描かれた連作の、共通する中心モティーフです。
尖塔と空
扉口の上にはサン=ロマン塔やアルバーヌ塔がそびえています。時間帯や天候によって、塔にあたる光の色は絵ごとに変化しました。
石肌に映る光の色
モネが描き分けたのは大聖堂そのものというより、石造りの壁面に落ちる光と大気の効果です。朝の光、曇天、夕暮れなど、同じ壁が絵ごとに違う色をまといます。
ほぼ同じ構図で30点
当時ジヴェルニーに住んでいたモネは、1892年と1893年、ノルマンディー地方のルーアンに取材旅行に出かけました。大聖堂の西側正面を望む建物にイーゼルを構え、わずかに異なる3つの場所から連作を描き、ジヴェルニーに戻ってアトリエで仕上げました。作品の数は30バージョンにも上ります。
モネはすでに、移り変わる光の影響を捉えようとした「積みわら」や「ポプラ並木」の連作を手がけていました。ルーアン大聖堂の連作では、同一のモティーフがほとんど同じ角度から描かれているため、光の推移による変化がより明確に捉えられています。
崩れ落ちる大聖堂の悪夢
制作中の1892年4月3日、モネは妻アリスに宛てた手紙にこう書いています。毎日、まだ見えていなかった何かを発見して描き加えている、実に苦労は多いが進んでいる、もう疲れ切ってしまった、と。ある夜には悪夢にうなされ、大聖堂が自分の上に崩れ落ちてきて、青やバラ色や黄色の石が降ってくる夢を見たとも記しています。
1895年5月、ポール・デュラン=リュエル画廊で開かれた「モネ近作展」で、連作のうち20バージョンが展示されました。画家ポール・シニャックは日記に「素晴らしく仕上げられた壁」と書き、カミーユ・ピサロは息子リュシアン宛の手紙で、自身が長く求め続けてきた統一性をこの連作に見出したとつづっています。
よくある疑問
- 『ルーアン大聖堂』はどこにある?
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連作はおよそ30点あり、世界各地の美術館に分散して所蔵されています。パリのオルセー美術館が複数点を所蔵するほか、ワシントンD.C.のナショナル・ギャラリー、ニューヨークのメトロポリタン美術館、ボストン美術館などにも収まっています。
- なぜ同じ構図で何点も描いた?
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光の移り変わりだけをはっきり捉えるためです。モネはすでに「積みわら」や「ポプラ並木」の連作で移り変わる光を描いていましたが、本作ではほぼ同じ角度から描いたことで、光による変化がより明確に表れています。
- どこで完成させた?
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現地ルーアンでは大聖堂の西側正面を望む建物にイーゼルを構え、わずかに異なる3つの場所から描きました。仕上げは、モネが暮らしていたジヴェルニーのアトリエで行われています。
- 日本で見られる?
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連作のうち1点は、箱根のポーラ美術館が所蔵しています。
基本データ
クロード・モネのほかの作品
出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル