コンポジションVIII

ワシリー・カンディンスキー《コンポジションVIII》1923年
コンポジションVIIIComposition VIII
1923年
油彩、カンヴァス、140 × 201 cm
ソロモン・R・グッゲンハイム美術館(ニューヨーク)

この作品のデータ

作者ワシリー・カンディンスキー同じ作家の作品 2点
制作年1923年
時代印象派以後同じ時代の作品 105点
様式抽象絵画同じ様式の作品 3点
種別絵画
技法・素材油彩、カンヴァス
所蔵ソロモン・R・グッゲンハイム美術館ニューヨーク
有名度★★★名画クイズで出題(全作品の解放)
何がすごいのか

抽象絵画の創始者とされるカンディンスキーが、ドイツの美術学校バウハウスで教えていた1923年に描いた作品です。円や正方形などの幾何学形だけで画面が構成され、具体的な人物や風景は描かれていません。

見どころ

円と正方形の画面

『コンポジションVIII』には円や正方形などの幾何学形が配置されています。具象を排し、形と色そのものを主題にした作品です。

1910年に始まった連作

カンディンスキーは1910年に最初の抽象画を手がけ、代表作の「コンポジション」連作をこの時期に始めました。『コンポジションVIII』はその後、バウハウスでの教官時代にあたる1923年に描かれています。

バウハウスでの制作

1922年からカンディンスキーはバウハウスで教官を務め、1933年にナチス・ドイツによって学校が閉鎖されるまで在籍しました。『コンポジションVIII』はこの時期の作品です。

モスクワからミュンヘンへ

ワシリー・カンディンスキーは1866年、モスクワに生まれました。モスクワ大学で法律と政治経済を学んだ後、1896年にミュンヘンへ渡って絵を学び始め、象徴主義の画家フランツ・フォン・シュトゥックに師事しています。1909年には新ミュンヘン美術家協会の会長に就きましたが、1911年にフランツ・マルクとともに脱退し、「青騎士」を結成しました。1910年、最初の抽象画を手がけ、絵画表現の歴史に新たな一歩を記します。代表作となる「コンポジション」連作は、この最初のドイツ滞在期に始まりました。

ロシア革命からバウハウスへ

1918年のロシア革命後、カンディンスキーは一度モスクワに戻ります。当時のソ連では前衛芸術が「革命的」なものとして認められ、カンディンスキーも政治委員などを務めましたが、スターリンの台頭とともに前衛芸術は軽視されるようになり、1921年に再びドイツへ向かいました。1922年からはバウハウスで教官を務め、1933年にナチス・ドイツによって学校が閉鎖されるまで在籍しています。『コンポジションVIII』は、このバウハウス在籍期の1923年に制作された作品です。

同じころバウハウスで教えていたパウル・クレーも、1922年に人の顔を幾何学的な色面の断片に分けた『セネシオ』を描いています。『セネシオ』には、カンディンスキーが唱えた正方形・三角形・円による形の言葉が見て取れるとされています。

読んだらクイズ

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よくある疑問

『コンポジションVIII』はどこにある?

ニューヨークのソロモン・R・グッゲンハイム美術館が所蔵しています。

誰が描いた?

ロシア出身の画家ワシリー・カンディンスキーが1923年に描きました。カンディンスキーは一般に抽象絵画の創始者とされています。

何が描かれている?

具体的な人物や風景ではなく、円や正方形などの幾何学形が画面に配置された抽象画です。

なぜ抽象画を描くようになった?

カンディンスキーは1910年に最初の抽象画を手がけ、対象にとらわれない絵画表現を追求するようになりました。当時本人と面会した澤木四方吉は、対象に縛られない独立した生命を持つ画面を作ろうとしていたと伝えています。

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《尖端》

出典・画像について

画像: Wikimedia Commons(CC0)。元ファイル

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