
この作品のデータ
| 作者 | ラファエロ・サンティ | 同じ作家の作品 5点 |
|---|---|---|
| 制作年 | 1516〜1520年 | |
| 時代 | ルネサンス | 同じ時代の作品 58点 |
| 様式 | 盛期ルネサンス | 同じ様式の作品 22点 |
| 種別 | 絵画 | |
| 技法・素材 | テンペラ・グラッサ、板 | |
| 所蔵 | バチカン美術館バチカン市国 | 同じ所蔵の作品 5点 |
| 有名度 | ★★★ |
ラファエロが亡くなった数日間、この絵は棺のそばに置かれていました。彼の最後の作品となった祭壇画で、16世紀後半から20世紀初めまで世界で最も有名な油彩画と呼ばれ続けます。上半分に光に包まれたキリスト、下半分に悪霊に憑かれた少年と騒ぐ使徒たちという、別々の場面を1枚に重ねた珍しい構図です。
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見どころ
光の中に浮かぶキリスト
山の上で白く輝くキリストの左右に、預言者のモーセとエリヤが浮かんでいます。その下では、使徒のヤコブ、ペテロ、ヨハネがまぶしさに顔を覆っています。ヴァザーリは、ラファエロがこの顔を描き終えたあと筆を加えなかったと記しています。
上を指す少年
下半分の右側で、父親が悪霊に憑かれた少年を支えています。少年は目を見開いて口を開け、腕を上へ伸ばしています。この腕が、少年を治せない使徒たちの場面と、上のキリストの場面をつないでいます。
左下の使徒と水に映る月
左下で本を前に座る男は聖マタイとされ、聖アンデレとみる人もいます。鑑賞者の目の高さに描かれ、こちらに待つよう手で合図する仲介役です。足元の水面らしきものには月が映り、てんかんを月と結びつけた当時の考え方を示すと解釈されています。
ミケランジェロ陣営との競作
依頼主はジュリオ・デ・メディチ枢機卿、のちの教皇クレメンス7世です。枢機卿はフランスのナルボンヌ大聖堂のために2枚の祭壇画を注文し、1枚をラファエロに、もう1枚の『ラザロの復活』をセバスティアーノ・デル・ピオンボに任せました。後者にはミケランジェロが素描を提供しています。10年ほど前にシスティーナ礼拝堂とラファエロの間で始まった2人の競争を、メディチ家が再燃させた形です。
ラファエロは1518年の秋には相手の絵の仕上がりを知っていたとみられ、2つ目の主題と19人の人物を加えて対抗しました。それでも完成前の1520年4月6日に亡くなります。死の1週間後、2枚の絵はバチカンで並べて展示されました。枢機卿は絵をフランスへ送らず、手元に残しています。
ナポレオンが運んだ傑作
1797年、イタリアに遠征したナポレオンの軍が、この絵をパリへ運びました。ナポレオンにとってラファエロはイタリア最高の画家で、この絵はその最高傑作でした。
1798年7月にラオコーン像などとともに勝利の行進のようにパリへ入り、同じ年の11月にルーヴル美術館で公開されました。パリにあったあいだ、イギリスの画家たちもこの絵を研究しました。ターナーは1802年に実物を見て、ロイヤル・アカデミーの遠近法の教授として行った最初の講義をこの絵に捧げています。ナポレオンの没落後、1815年にピウス7世の使節や彫刻家カノーヴァらが交渉し、ほかの絵とともに取り戻しました。
300年の名声と急な下落
1577年、スペインの人文主義者パブロ・デ・セスペデスが初めてこの絵を「世界で最も有名な油彩画」と呼び、その評価は300年以上続きました。1523年から1913年までに少なくとも68点の模写が作られ、若い画家は模写を売ってイタリア旅行の資金にできたといいます。1869年にはマーク・トウェインも、この絵を忘れないと書き残しました。
20世紀初めになると、評価は急速に落ちます。新しい世代の画家はラファエロを手本とせず、人物が多すぎる、身ぶりが大げさだと受け止められるようになりました。一方で、下半分の強い明暗の対比は、17世紀のカラヴァッジョとその追随者に大きな影響を与えたとされています。
読んだらクイズ
この拡大は、どの見どころ?

上を指す少年下半分の右側で、父親が悪霊に憑かれた少年を支えています。少年は目を見開いて口を開け、腕を上へ伸ばしています。この腕が、少年を治せない使徒たちの場面と、上のキリストの場面をつないでいます。
次に見る1枚
よくある疑問
- 『キリストの変容』はどこにある?
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バチカン市国のバチカン美術館の絵画館(ピナコテカ)にあり、16世紀の作品を集めた第8室に展示されています。ラファエロの死後はローマのサン・ピエトロ・イン・モントリオ教会の祭壇に置かれ、ナポレオンの時代にパリへ運ばれた後、バチカンに戻りました。サン・ピエトロ大聖堂には1774年に作られたモザイクの複製があります。
- 何が描かれている?
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マタイによる福音書の、続けて起きる2つの出来事です。上半分は、キリストが山上で光り輝く姿に変わり、モーセとエリヤが現れる「変容」の場面です。下半分は、残された使徒たちが悪霊に憑かれた少年を癒やせずにいる場面で、少年はこのあと山から戻ったキリストに治されます。
- ラファエロが一人で描いたの?
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弟子のジュリオ・ロマーノと助手のジャンフランチェスコ・ペンニが右下の背後の人物を描いたという推測がありました。しかし1972年から1976年の洗浄で、助手が仕上げたのは左下の人物像の一部だけとわかりました。残りはラファエロ自身の手によるものです。
- なぜ上と下で別の場面なの?
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「変容」の主題で、続く少年の癒やしの話まで一緒に描いた作品は珍しいとされます。下では使徒たちの力が及ばず、上のキリストだけが救いをもたらす、という対比になっています。18世紀にはリチャードソン父子が上下がかみ合わないと批判しましたが、ゲーテは2つを補い合う部分と読み、この解釈が19世紀に広く引用されました。
ラファエロ・サンティのほかの作品
《牧場の聖母》 《アテナイの学堂》 《システィーナの聖母》 《小椅子の聖母》
出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0、撮影: Raphael)。元ファイル



