
この作品のデータ
| 作者 | ジョーゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー | 同じ作家の作品 5点 |
|---|---|---|
| 制作年 | 1810年発表 | |
| 時代 | 近代 | 同じ時代の作品 43点 |
| 様式 | — | |
| 種別 | 絵画 | |
| 技法・素材 | 油彩、カンヴァス | |
| 所蔵 | テート・ブリテンロンドン | 同じ所蔵の作品 5点 |
| 有名度 | ★★★ | |
| 展覧会 | テート美術館 ターナー展――崇高の絵画、現代美術との対話国立西洋美術館(東京都)2026年10月24日(土)〜2027年2月21日(日) | 開催中 |
雪崩の絵でターナーが新しく描いたのは、雪ではなく宙を飛ぶ岩でした。批評家ラスキンは、それまで誰も飛んでいる石を思い描いた者はいなかったと書いています。きっかけは、1808年12月にスイスのグリゾン州セルヴァで起き、1軒の小屋だけで25人が亡くなった雪崩だと考えられています。
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見どころ
宙を飛ぶ巨大な岩
画面の中央右で、雪崩に押し出された大きな岩が宙に浮いています。ド・ラウザーバーグの雪崩の絵も、トムソンの詩も、描いたのは落ちてくる雪の力だけでした。石が飛ぶ瞬間を描いたのは、ラスキンによればターナーが初めてです。
押しつぶされる小屋
岩の真下では、木造の小屋が崩れかけています。この絵は「雪崩に壊された小屋」という別の題名でも知られています。
嵐の空と沈む夕日
左側は重い雪雲に覆われ、その切れ目に夕日の光が細く差しています。ターナーが添えた詩も、嵐の向こうで沈む太陽が別れの悲しみを放つ、という一行から始まります。
自分の画廊で見せた一枚
この絵は1810年、ターナーが自分で構えていた画廊で発表されました。制作年は記録されていません。発表時には8行の詩が添えられていました。この詩は、のちに『ハンニバルのアルプス越え』で初めて引用される自作の詩「希望の誤謬」を先取りするものとされています。
当時の新聞『サン』は1810年6月12日の展評で、この絵はいつもの作風ではないが、劣るものではないと書きました。
見ていない雪崩を描く
劇的なアルプスの場面は、崇高な風景画の定番の題材でした。ターナーは、パトロンが持っていたド・ラウザーバーグの雪崩の絵2点からも刺激を受けたと考えられています。そのうち1803年の作品は、いまはテートにあります。ただテートは、ターナーが目指したのは報道のような記録ではないと解説しています。圧倒的な自然の力を、ほとんど抽象画のような場面にまとめあげた作品です。
同じテートが所蔵するターナーの作品には、36年後の1846年に発表された『捕鯨船エレバス号に万歳! もう一頭獲ったぞ!』もあります。
国に遺された絵
ターナーの死後、この絵は1856年に「ターナー遺贈」の一点として国に受け入れられました。1910年にテート・ギャラリーへ移されています。
読んだらクイズ
この拡大は、どの見どころ?

押しつぶされる小屋岩の真下では、木造の小屋が崩れかけています。この絵は「雪崩に壊された小屋」という別の題名でも知られています。
次に見る1枚
よくある疑問
- 『グリゾン州の雪崩』はどこにある?
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ロンドンのテートが所蔵し、テート・ブリテンを拠点とするターナーのコレクションに含まれます。展示されていない時期もあるので、見に行く前にテートの作品ページで展示状況を確かめてください。
- ターナーは実際に雪崩を見たの?
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見たという証拠はありません。ターナーは1802年にアルプスを訪れていますが、グリゾン州まで行ったかどうかはわかっていません。1808年のセルヴァの雪崩の知らせが、制作のきっかけになったと考えられています。
- 一緒に発表された詩には何が書かれている?
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8行の英詩で、沈む夕日、降り積もる雪、岩の壁を突き破る雪の重み、松林と氷河の崩落を順に描き、最後は人の労苦と希望が呑み込まれると結ばれます。テートは、トムソンの詩集『四季』の「冬」の一節や、旧約聖書のヨブ記を思わせる詩句だとしています。
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《荒海とイルカ》 《戦艦テメレール号》 《雨、蒸気、速度――グレート・ウェスタン鉄道》 《捕鯨船エレバス号に万歳! もう一頭獲ったぞ!》



