
この作品のデータ
| 作者 | トーマス・ローレンス | |
|---|---|---|
| 制作年 | 1825年 | |
| 時代 | 近代 | 同じ時代の作品 43点 |
| 様式 | — | |
| 種別 | 絵画 | |
| 技法・素材 | 油彩、キャンバス | |
| 所蔵 | ナショナル・ギャラリーロンドン | 同じ所蔵の作品 15点 |
| 有名度 | ★★★ |
この少年の服は、はじめ黄色で塗られていました。注文主の父ジョン・ラムトンが「色が合わない」と画家を責め続け、真紅に塗り替えさせたと伝えられています。こうして仕上がった『赤い服の少年』は、1967年にイギリスで初めて切手になった絵画です。
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見どころ
空を見上げる顔
少年は片手を頭に添え、岩にもたれて上を見上げています。ローレンスは彼を、自然の崇高な力に思いをめぐらす子どもの放浪者として描きました。
塗り替えられた真紅
光沢のある真紅の服は、描きはじめは黄色でした。1831年に出たローレンスの伝記は、黄色だと背景の砂利や岩の茶色と並んで単調に見えたため、と説明しています。
月夜の海と小さな花
少年が座るのは、月夜の海を見下ろす岬の上です。左下には月明かりを映す水面がのぞきます。そばに咲く小さな花は、少年の若さの象徴です。
7歳の跡継ぎ、13歳の死
チャールズ・ウィリアム・ラムトンは1818年1月16日に生まれました。父は下院議員ジョン・ラムトン、母ルイーザは第2代グレイ伯爵の娘です。名前は、のちに首相となる母方の祖父チャールズ・グレイと、父方の祖父ウィリアム・ヘンリー・ラムトンからとられました。
父は1828年に貴族に列せられ、チャールズは爵位と領地を継ぐ立場になります。祖父グレイ伯爵のお気に入りの孫でもありました。しかし肖像画が描かれて6年後の1831年9月24日、13歳で結核のためブライトンで亡くなりました。爵位は1840年に弟のジョージ(ダーシー)が継いでいます。
高い所に掛けられた出品作
1825年のロイヤル・アカデミーの展覧会で、展示委員会はこの絵を主展示室「グレート・ルーム」から離れた部屋の高い位置に掛けました。父ラムトンは、自分がホイッグ党員だからこの扱いを受けたと考え、アカデミー会員の絵は二度と買わないと宣言したと伝えられています。一方、2年後の1827年にパリのサロンへ出品されたときは、高い評価を受けました。
売れ残りから国の所蔵へ
1928年と1929年にダラム伯爵が続けて亡くなり、一家に多額の相続税がかかりました。第5代伯爵はラムトン城を閉じ、1932年に城の家具や絵画を競売にかけます。この絵も出品されましたが、最低落札価格に届かず、1934年になっても売れ残りました。
その後も絵は複製を通じて親しまれ、「レッド・ボーイ」の名を付けたトフィー(菓子)の包装に使われました。1936年には一族の結婚式で、付き添いの少年たちがこの絵とそろいの衣装を着ています。2021年にナショナル・ギャラリーが購入し、同館が持つローレンスの肖像画は6点になりました。同じくイギリスで少年を描いた肖像画には、ゲインズバラの『青衣の少年』があります。
読んだらクイズ
この拡大は、どの見どころ?

塗り替えられた真紅光沢のある真紅の服は、描きはじめは黄色でした。1831年に出たローレンスの伝記は、黄色だと背景の砂利や岩の茶色と並んで単調に見えたため、と説明しています。
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よくある疑問
- 『赤い服の少年』はどこにある?
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ロンドンのナショナル・ギャラリーが所蔵しています。2021年に個人コレクションから購入され、国の所蔵品になりました。それまでは個人の手元にあり、ニューカッスルやボウズ美術館の展覧会で何度か公開されていました。
- モデルは誰?
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のちにダラム伯爵となるジョン・ラムトンの長男、チャールズ・ウィリアム・ラムトンです。描かれたときは7歳でした。正式な題名は彼の名前そのもので、『マスター・ラムトン』とも呼ばれます。
- いくらで描かれ、いくらで買われた?
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父ジョン・ラムトンは600ギニーで制作を頼みました。2014年の価値に直すと約4万6,000ポンドです。2021年、ナショナル・ギャラリーはこの絵を930万ポンドで購入しました。
- なぜ有名なの?
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1825年にロイヤル・アカデミーで初めて展示されたとき、批評家は子どもらしい振る舞いと表情で、ジョシュア・レノルズの子どもの肖像をも超えたと評しました。ローレンスの傑作の一つとされ、1967年にはイギリスの郵便切手に初めて複製された絵画になっています。
出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル



