
この作品のデータ
| 作者 | フランシスコ・デ・ゴヤ | 同じ作家の作品 4点 |
|---|---|---|
| 制作年 | 1820〜1823年 | |
| 時代 | 近代 | 同じ時代の作品 43点 |
| 様式 | ロマン主義 | 同じ様式の作品 17点 |
| 種別 | 絵画 | |
| 技法・素材 | 油彩、カンヴァス(もとは壁画) | |
| 所蔵 | プラド美術館マドリード | 同じ所蔵の作品 11点 |
| 有名度 | ★★★名画クイズの無料の54点に収録 |
X線調査によると、ゴヤはこの壁に当初、穏やかな山岳風景を描いていました。ほぼ描き終えた段階で、突然黒と褐色の絵の具で塗り替えたのがこの作品です。しかもこの絵が飾られていたのは食堂で、ゴヤはこの絵を眺めながら食事をしていたとされています。
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見どころ
血走った目と開いた口
サトゥルヌスの顔には強い表現主義が見られます。動きに満ちた力強い筆致で描かれていますが、その下には完璧な下絵が隠されているとも指摘されています。
指から滴る血
サトゥルヌスは手の力で子供の体を潰しているようで、指からは血が滴っています。黒と灰色の色調のなかで、赤い血が恐ろしい効果をもたらしています。
もとは穏やかな山岳風景だった壁
X線調査によると、ゴヤはこの家の壁に、もとは穏やかな山岳風景を描いていました。ほぼ描き終えた段階で、突然黒と褐色の絵の具で塗り替えて『黒い絵』にしていったことがわかっています。
聾者の家の食堂
ゴヤは1819年2月、マンサナーレス川に架かるセゴビア橋近くにレンガ造りの2階屋を購入しました。この家は死後「キンタ・デル・ソルド(聾者の家)」と呼ばれるようになります。本作が描かれたのは1階の食堂で、ゴヤはこの血なまぐさい絵を眺めながら食事を摂っていたことになります。
「黒い絵」と呼ばれる一連の壁画は、家の漆喰ごとカンヴァスに移し替えて運び出されました。制作当初の配置は、それ以前に家を訪れた人々の記録から推測するしかありません。
妖怪として紹介された時代
日本では1970年代に刊行された怪奇系児童書の一部で、本作が「食人鬼ゴール」という妖怪の図版として紹介されていました。ポルトガルに棲息するとされる身長5メートルの夜行性の妖怪とされていますが、そのような伝承を記した文献の出典は不明で、本作との結びつきを含めて無関係な流用とされています。
読んだらクイズ
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指から滴る血サトゥルヌスは手の力で子供の体を潰しているようで、指からは血が滴っています。黒と灰色の色調のなかで、赤い血が恐ろしい効果をもたらしています。
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よくある疑問
- 『我が子を食らうサトゥルヌス』はどこにある?
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マドリードのプラド美術館の所蔵です。1881年にデルランジェ男爵からスペイン政府に寄贈され、1889年以来同館に展示されています。
- 何が描かれている?
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ローマ神話の農耕神サトゥルヌス(ギリシア神話のクロノス)が、自分の子供を貪り食う瞬間が描かれています。将来子に殺されるという予言を恐れ、生まれた子を次々に呑み込んでいったという神話にもとづいています。
- なぜこんな絵を描いたの?
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1821年以降のスペインの政治的混乱の中で、ゴヤが抱いた革命の敗北への暗い予感、あるいは革命政府と民衆の断絶への絶望が理由と考えられています。研究者ノルトストロムは、当時病気で老いに苦しんでいたゴヤ自身の気分を象徴する絵だとしています。
- ルーベンスの同名作とは何が違う?
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ルーベンスの『我が子を食らうサトゥルヌス』(同じくプラド美術館蔵)は、サトゥルヌスに老齢を示す杖を持たせるなど、伝統的な図像を尊重しています。ゴヤはこの枠を破り、神話の場面というより人間の狂気そのものを描いています。
フランシスコ・デ・ゴヤのほかの作品
《裸のマハ》 《着衣のマハ》 《マドリード、1808年5月3日》
出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル



