
この作品のデータ
| 作者 | フランシスコ・デ・ゴヤ | 同じ作家の作品 4点 |
|---|---|---|
| 制作年 | 1800〜1805年頃 | |
| 時代 | 近代 | 同じ時代の作品 43点 |
| 様式 | ロマン主義 | 同じ様式の作品 17点 |
| 種別 | 絵画 | |
| 技法・素材 | 油彩、カンヴァス | |
| 所蔵 | プラド美術館マドリード | 同じ所蔵の作品 11点 |
| 有名度 | ★★★名画クイズで出題(全作品の解放) |
『裸のマハ』が実在の女性の陰毛を描いたとして美術史上のスキャンダルを引き起こした直後に、この着衣版が描かれました。宰相ゴドイが自宅を改装する際、裸体画を人目から隠すカモフラージュとして制作されたと考えられています。
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見どころ
正体不明の視線
見つめる先にいる女性の正体は、今も特定されていません。アルバ侯爵夫人か、ゴドイの愛妾ペピタ・トゥドーだったという説が伝わっています。
衣服をまとった上半身
『裸のマハ』の直後に、同じ女性へ衣服を着せて描かれました。宰相ゴドイの自宅改装にあわせ、裸体画を人目から隠すために制作されたと考えられています。
横たわる女性の全身
本作は横たわる女性の全身を描いた対作品です。1901年から『裸のマハ』と並べてプラド美術館に展示されています。
隠すために描かれた対作品
『着衣のマハ』は『裸のマハ』の直後に描かれました。制作を依頼したとみられる宰相マヌエル・デ・ゴドイが19世紀初めに自宅を改装した際、スキャンダルとなっていた裸体画を人目から隠すためのカモフラージュとして本作が用意されたと考えられています。18世紀のスペインでは、宗教的、道徳的観点から裸の女性を描くこと自体がタブー視されていました。『裸のマハ』は単なる女性の裸体画である以上に、実在する女性の陰毛が描かれた作品として、美術史上のスキャンダルとなりました。
押収と隔離保管
着衣のマハは1808年から1813年まで王立サン・フェルナンド美術アカデミーに所蔵されていました。1814年から1836年にかけての異端審問の間は隔離して保管され、その後アカデミーへ返還されています。1901年からは、プラド美術館で『裸のマハ』と並んで展示されています。押収と隔離という長い保管の歴史を経て、この2枚は対の作品として同じ壁に並べられました。
日本での公開
2011年10月22日から2012年1月29日にかけて、東京の国立西洋美術館で開催された「プラド美術館所蔵ゴヤ 光と影」で、40年ぶりに日本で公開されました。この公開は同年の元日、読売新聞紙上でも報じられています。
読んだらクイズ
この拡大は、どの見どころ?

衣服をまとった上半身『裸のマハ』の直後に、同じ女性へ衣服を着せて描かれました。宰相ゴドイの自宅改装にあわせ、裸体画を人目から隠すために制作されたと考えられています。
次に見る1枚
よくある疑問
- 『着衣のマハ』はどこにある?
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マドリードのプラド美術館の所蔵です。1901年から『裸のマハ』と並べて展示されています。
- モデルは誰?
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モデルは分かっていません。アルバ侯爵夫人(マリア・デ・シルバ・イ・アルバレス・デ・トレド)や、宰相ゴドイの愛妾ペピタ・トゥドーだったとする説がありますが、確定していません。
- なぜ描かれた?
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『裸のマハ』の直後に描かれました。宰相ゴドイが自宅を改装した際、『裸のマハ』を人目から隠すためのカモフラージュとして制作されたと考えられています。
- 『裸のマハ』と何が違う?
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『裸のマハ』は実在の女性の陰毛が描かれ、美術史上のスキャンダルとなりました。本作はその同じ女性に衣服をまとわせて描いた対作品で、スキャンダルとなった裸体画を隠す目的があったと考えられています。
フランシスコ・デ・ゴヤのほかの作品
《裸のマハ》 《マドリード、1808年5月3日》 《我が子を食らうサトゥルヌス》
出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル



