
147人が乗った筏で13日間漂流し、生き残ったのは15人でした。フランス軍艦の座礁という実際の海難事件を、ジェリコーは死体安置所に通って死者の肌を観察しながら描き、モデルには画家ドラクロワ自身も起用しています。
見どころ
船影に気づいた瞬間
中央でアフリカ人のジャン・シャルルが樽の上に立ち、ハンカチを振って遠くの船に合図しています。画面全体のピラミッド構図の頂点にあたる場面です。
遺体を抱く老人
前景でひざに息子の遺体を乗せ、うなだれる老人が描かれています。周囲には力尽きた人々の遺体が横たわり、画面のなかで最も悲惨さを伝える部分です。
左上にそびえるマスト
画面左上の大きなマストが、もうひとつのピラミッド構図を作っています。荒れた波に筏がかろうじて耐えている様子が伝わります。
実際にあった海難事件
1816年7月、フランス軍艦メデューズ号は西アフリカ沖で座礁しました。ボートには250人しか乗れず、残りの147人が急ごしらえの筏に乗り込みます。13日間の漂流のあいだ、生存者は反乱や飢餓、共食いに苦しみ、救出されたのは15人だけでした。艦長の航海術の未熟さが座礁の原因とされ、事件はフランス復古王政への批判につながりました。
死体安置所に通った制作
ジェリコーは生存者2人に取材し、筏の縮尺模型まで作らせて絵の材料を集めました。死者の肌の色を正確に描くため、病院や死体安置所に通い、切断された手足を自分のアトリエに持ち込んで腐敗の様子を観察したといいます。制作はほぼ外出せず、8か月かけて進められました。
サロンでの賛否
1819年のサロン・ド・パリでは、当初『難破』という無難な題で出品されました。批評家の評価は二分し、保守的な批評家は死体の描写を嫌悪し、自由主義的な評論家は政治的な告発として読み取りました。翌年ロンドンで展示されると、約4万人が訪れ、パリよりおおむね高い評価を受けています。
よくある疑問
- 『メデューズ号の筏』はどこにある?
-
パリのルーヴル美術館に所蔵されています。ジェリコーの死後の1824年に美術館が買い取り、以来常設のギャラリーに展示されています。
- 何が描かれている?
-
1816年に実際に起きた海難事件です。フランス軍艦メデューズ号が座礁し、ボートに乗りきれなかった147人が急ごしらえの筏で漂流しました。13日後に救出されたとき生き残っていたのは15人だけで、絵はその救助船をはじめて見つけた瞬間を描いています。
- なぜ画面が黒ずんで見える?
-
ジェリコーが瀝青(ビチューメン)を使ったためです。塗った直後は光沢が出ますが、時間とともに黒い糖蜜のような色に変色し、縮んで表面に皺が寄ります。この変化は元に戻らず、画面の細部はかなり判別しにくくなっています。
- モデルは誰?
-
生存者のコルレアールとサヴィニー、大工のラヴィレットが自分自身をモデルにしました。前景でうつぶせに手を伸ばす人物は画家ドラクロワ、海に沈みかける若者の死体は助手のジャマールが裸でポーズを取っています。
基本データ
- 作者
- テオドール・ジェリコーThéodore Géricault
- 制作年
- 1818〜1819年
- 種別
- 絵画
- 技法・素材
- 油彩、カンヴァス
- 寸法
- 491 × 716 cm
- 様式
- ロマン主義
- 所蔵
- ルーヴル美術館(パリ)
- 展示室
- 近代
出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル