この作品のデータ
| 作者 | トマス・ゲインズバラ | |
|---|---|---|
| 制作年 | 1770年頃 | |
| 時代 | バロック・ロココ | 同じ時代の作品 37点 |
| 様式 | ロココ | 同じ様式の作品 7点 |
| 種別 | 絵画 | |
| 技法・素材 | 油彩、キャンバス | |
| 所蔵 | ハンティントン・ライブラリーサンマリノ | |
| 有名度 | ★★★名画クイズで出題(全作品の解放) |
ゲインズバラは、別の絵を描いた上から塗り重ねてこの絵を仕上げました。1921年、当時としては破格の64万ドルでアメリカへ売却されると、ロンドンのナショナル・ギャラリー館長は別れを惜しみ、カンバスの裏に「さようなら」と刻みました。
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見どころ
少年の顔立ち
モデルは裕福な金物商の息子ジョナサン・バトールと考えられていますが、確かな考証があるわけではありません。ほぼ等身大で描かれた全身肖像画です。
ヴァン・ダイク風の衣装
少年が着ているのは17世紀様式の服で、アンソニー・ヴァン・ダイクへのオマージュとされています。とりわけヴァン・ダイクが描いた若き日のチャールズ2世の肖像によく似ていると指摘されています。
羽根飾りの帽子
手に持つ羽根飾りの帽子も含め、衣装全体が肖像画であると同時に服飾史の教材としても見られています。
レノルズへの返答
同時代のライバル画家ジョシュア・レノルズは、絵の中で最も明るい部分は暖色でまとめるべきで、青や灰色などの寒色は脇役にとどめるべきだと説いていました。ゲインズバラはこの絵で少年の衣装を青一色にまとめ、寒色を主役に据えることで、レノルズの理論への返答を試みたとされています。
破格の値段でアメリカへ
所有者はジョナサン・バトールから、1796年の破産を経て政治家ジョン・ネズビット、画家ジョン・ホプナーへと渡り、1809年頃にグローヴナー伯爵のコレクションに入りました。1921年、子孫のウェストミンスター公爵が美術商ジョーゼフ・デュビーンに売却し、鉄道王ヘンリー・E・ハンティントンの手に渡っています。カリフォルニアへ発送される前、ロンドンのナショナル・ギャラリーで一時公開され、9万人が訪れました。館長のチャールズ・ホームズはこの絵に感動し、カンバスの裏に別れの言葉を書き残しています。
青と桃色を分けた対の絵
ハンティントンはこの絵とあわせて、トーマス・ローレンスの『ピンキー』も購入し、ハンティントン・ライブラリーでは今も向かい合って展示されています。この2枚が並んだことで「男子は青、女子はピンク」という色分けの通念が生まれたともいわれています。
読んだらクイズ
この拡大は、どの見どころ?

ヴァン・ダイク風の衣装少年が着ているのは17世紀様式の服で、アンソニー・ヴァン・ダイクへのオマージュとされています。とりわけヴァン・ダイクが描いた若き日のチャールズ2世の肖像によく似ていると指摘されています。
次に見る1枚
よくある疑問
- 『青衣の少年』はどこにある?
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アメリカ・カリフォルニア州サンマリノのハンティントン・ライブラリーに所蔵されています。
- モデルは誰?
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裕福な金物商の息子ジョナサン・バトール(1752年〜1805年)の肖像画と考えられていますが、いまだ確かな考証があるわけではありません。
- なぜ青一色の衣装なの?
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ライバルの画家ジョシュア・レノルズは「絵の光のかたまりは暖色にすべきで、青などの寒色は脇役にとどめるべきだ」と説いていました。ゲインズバラはこの絵で、寒色の青を主役に据えることでその助言に応えたとされています。
- なぜこんなに有名になった?
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1921年にアメリカへ売却された際の価格が当時としては破格で、大きな話題になりました。映画監督フリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウの第一作や、ポップ・アートの画家ロバート・ラウシェンバーグが画家を志すきっかけにもなったと伝えられています。
出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル




