フェルメールが借金に苦しんでも手放さなかった、生涯手元に置き続けた一枚です。死後、妻は債権者を逃れるため母に譲渡しましたが、のちにヒトラーが165万ライヒスマルクで買い取り、岩塩坑に隠しました。連合国の担当者は自分の体と鎖でつないでこの絵を運んだと伝えられています。
見どころ
モデルは歴史の女神クリオ
月桂樹の花冠をかぶり、右手に名声を表すトランペット、左手にトゥキディデスの『戦史』と思われる書物を持っています。この持ち物の組み合わせが、モデルを歴史の女神クリオの寓意像だと示しています。
国境の裂け目が走る地図
背景の壁一面を占める地図は、1636年にクラース・ヤンスゾーン・フィスヘルが制作したネーデルラント7州の図です。北と南を分ける裂け目が描かれ、独立した北部と、なおハプスブルク家の支配下にあった南部の分裂を表しています。
灯のないシャンデリア
黄金のシャンデリアの基部には、ハプスブルク家の紋章である双頭の鷲が飾られています。ロウソクが一本も立てられていない点は、当時のネーデルラントでカトリック信仰が弾圧されていたことを示すとされています。
誰も知らなかった作者
18世紀のあいだ所有者はほとんど記録されておらず、19世紀に裕福な医師ヘラルト・ファン・スウィーテンが購入し、代々の相続人に受け継がれました。1813年に貴族ヨハン・ルドルフ・チェルニンが50フローリンで購入した時点でも、この絵は同時代の画家ピーテル・デ・ホーホの作とされ、偽の署名まで書き加えられていました。19世紀後半になって研究者トレ=ビュルガーとワーゲンがフェルメールの真作と鑑定し、ウィーンのチェルニン美術館に展示されています。20世紀にはスペインの画家サルバドール・ダリが自作『テーブルとして使われるフェルメールの亡霊』にこの絵を取り入れています。
ナチスに狙われた一枚
1938年のオーストリア併合後、ヘルマン・ゲーリングらナチスの高官が現地の美術品買収を進めました。当時の所有者は伯爵ヤロミール・チェルニンで、1940年にヒトラーが代理人ハンス・ポッセを通じてこの絵を買い取っています。大戦末期には空爆を避けるため岩塩坑に他の美術品とともに隠され、1945年に連合国が発見しました。美術品返還を担当したアンドリュー・リッチーが、ミュンヘンからウィーンへ列車で移送したと記録されています。
返還と、繰り返された請求
チェルニン家による売却は強制ではなく自発的なものと見なされ、1946年にアメリカ軍がオーストリア政府へ返還しました。以来この絵はオーストリアの国家所有財産です。1960年代にチェルニン家が求めた返還請求は却下されましたが、1998年の返還規定制定を受けて2009年にも遺産相続人が改めて返還を求めています。
よくある疑問
- 『絵画芸術』はどこにある?
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オーストリア・ウィーンの美術史美術館に所蔵されています。第二次世界大戦後の1946年にアメリカ軍からオーストリア政府へ返還されて以来、国家所有の財産となっています。
- 描かれている画家はフェルメール自身?
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画家の顔は見えないように描かれているため断定はできませんが、フェルメール自身の自画像ではないかと考えられています。フェルメールの作品の中で最大かつもっとも複雑な作品とされています。
- なぜナチスに接収された?
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1938年にオーストリアを併合したナチスの高官が現地の美術品の買収を始め、1940年にヒトラーが代理人を通じて165万ライヒスマルクで自身の私的コレクションに加えました。大戦末期には岩塩坑に隠され、1945年に連合国が発見・押収しています。
- 返還を求める動きはあったの?
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もとの所有者だったチェルニン家は、1960年代にオーストリア政府へ返還を求めましたが「自発的な売却だった」として却下されました。1998年に公的機関の所蔵物に関する返還規定が制定された後、2009年にも遺産相続人が改めて返還を要求しています。
基本データ
- 作者
- ヨハネス・フェルメールJohannes Vermeer
- 制作年
- 1666年頃
- 種別
- 絵画
- 技法・素材
- 油彩、カンヴァス
- 寸法
- 130 × 110 cm
- 様式
- オランダ黄金時代の絵画
- 所蔵
- 美術史美術館(ウィーン)
- 展示室
- バロック・ロココ
ヨハネス・フェルメールのほかの作品
《牛乳を注ぐ女》 《デルフト眺望》 《真珠の首飾りの女》 《真珠の耳飾りの少女》 《地理学者》
出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル
