
この作品のデータ
| 作者 | ギュスターヴ・クールベ | 同じ作家の作品 3点 |
|---|---|---|
| 制作年 | 1866年 | |
| 時代 | 近代 | 同じ時代の作品 43点 |
| 様式 | — | |
| 種別 | 絵画 | |
| 技法・素材 | 油彩、カンヴァス | |
| 所蔵 | プティ・パレ美術館パリ | |
| 有名度 | ★★★ |
オスマン帝国の外交官ハリル・ベイが注文し、サロンを通らずに個人の収集室へ入った絵です。寄り添って眠る2人の女性はほぼ等身大で描かれています。1872年に画商がこの絵を展示したときには、警察の報告書に記録されました。
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見どころ
寄り添う2人の顔
左の女性は黒髪、右の女性は赤毛です。クールベは2人の体の曲線を重ね合わせ、髪と肌の色の対比を画面の中心に置きました。
手前の小卓と器
左手前の木の小卓には、色のついた小瓶、透明なクリスタルの花瓶、杯の3つが置かれています。部屋の家具や小物はこれと右奥の花瓶くらいで、画面に2人より目立つものはありません。
ちぎれた真珠と髪留め
寝台の上には、糸の切れた真珠の首飾りと髪留めが散らばっています。これらは、2人が眠りにつく前の出来事を小物だけでほのめかす仕掛けと読まれています。
外交官の注文と『オランピア』の翌年
注文主のハリル・ベイは、1860年からパリに住んでいたオスマン帝国の外交官で、美術の収集家でもありました。本作は完成後すぐに彼の個人コレクションに入ったため、サロン(官展)の検閲を受けずに済みました。ハリル・ベイは同じクールベの『世界の起源』も手に入れています。
制作された1866年は、マネが1865年のサロンに『オランピア』を出して騒ぎになった翌年です。本作の成り立ちには、この騒動が関わっている可能性が指摘されています。プティ・パレ美術館も、本作の画面の大きさが『オランピア』に近いことを挙げています。
売り立てから美術館へ
1868年にハリル・ベイのコレクションが売りに出されると、バリトン歌手で収集家のジャン=バティスト・フォールが本作を買いました。1872年に画商が展示した際、警察が報告書を作っています。
1882年からは、スイスの外科医オーギュスト・ルヴェルダンや、ローザンヌの画商の手に渡りました。最後に買い取ったのはプティ・パレ美術館で、1953年のことです。
理想化しない裸体と、その後
『画家のアトリエ』などで知られるクールベは、写実主義の先駆けとなった画家です。少数の収集家に支えられ、公式の美術界とは距離を置いて制作しました。本作でも、体を整えて美しく見せることはせず、肌や体の不完全さも描き込んでいます。アカデミーの画家たちが描いた理想化された裸婦とは、ここがはっきり違います。
本作が人の目に触れてからは、同時代の画家たちのあいだで女性同士の恋人という主題が繰り返し描かれました。同じ主題が描かれ続けたことで、女性同士の恋愛にまつわるタブーが和らいだとされています。1955年には、画家ベルナール・ビュフェがクールベへのオマージュとして自分の『眠り』を描きました。
読んだらクイズ
この拡大は、どの見どころ?

手前の小卓と器左手前の木の小卓には、色のついた小瓶、透明なクリスタルの花瓶、杯の3つが置かれています。部屋の家具や小物はこれと右奥の花瓶くらいで、画面に2人より目立つものはありません。
次に見る1枚
よくある疑問
- 『眠り』はどこにある?
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パリ市立プティ・パレ美術館(パリ)が所蔵しています。同館が1953年に購入しました。それまでは歌手や外科医、画商など、個人の手を渡ってきた絵です。
- モデルは誰?
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モデルの1人は、ジョアンナ・ヒファーナンとされています。当時、彼女は画家ホイッスラーの恋人でした。2人の関係はこの絵の後まもなく終わり、ホイッスラーのクールベへの評価も悪くなったといわれています。
- 何から着想を得た絵?
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ボードレールの詩集『悪の華』に収められた詩「デルフィーヌとイポリット」から着想を得たとされています。プティ・パレ美術館は、女性同士の愛を扱った版画や文学も下敷きにあると説明しています。
- 『2人の友達同士』『怠惰と情欲』と同じ作品?
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同じ作品です。フランス語の原題は Le Sommeil(眠り)で、『2人の友達同士』『怠惰と情欲』という別名でも知られています。描かれているのは、女性の恋人どうしの2人です。
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出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル



