
この作品のデータ
| 作者 | ジャック=ルイ・ダヴィッド | 同じ作家の作品 4点 |
|---|---|---|
| 制作年 | 1807年 | |
| 時代 | 近代 | 同じ時代の作品 43点 |
| 様式 | 新古典主義 | 同じ様式の作品 6点 |
| 種別 | 絵画 | |
| 技法・素材 | 油彩 | |
| 所蔵 | ルーヴル美術館パリ | 同じ所蔵の作品 26点 |
| 有名度 | ★★★名画クイズの無料の54点に収録 |
ジョゼフィーヌは戴冠時すでに41歳でしたが、絵では20歳前後の若さに描かれています。「皇帝の妃は若々しくなくてはならない」というナポレオン自身の指示によるとされ、モデルはダヴィッドの娘だったといわれています。幅10m、高さ6mの大作を、ダヴィッドは記憶を頼りに2作目も描き上げました。
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見どころ
冠を掲げるナポレオン
ナポレオンは戴冠されるはずのジョゼフィーヌの頭上へ、自らの手で冠を掲げています。当初の構図では自分自身に戴冠しようとする姿でしたが、描き直されました。すべての視線がこのナポレオンに集まる構成です。
祝福する教皇ピウス7世
ナポレオンの右手には教皇ピウス7世が座っています。もとの下絵では膝の上で手を組んでいるだけの姿でしたが、祝福を与える仕草に描き直されたとされています。教皇はナポレオンが任命した聖職者たちに囲まれています。
観覧席に描かれた画家自身
画家ダヴィッド自身も観覧席の一人として描き込まれています。同じ観覧席には、実際には式典を欠席していたナポレオンの母マリア・レティツィアの姿もあり、教皇より目立つ位置に配置されています。
口頭の依頼から4年をかけた大作
1804年9月、ナポレオンから口頭でこの絵の制作が依頼されました。ダヴィッドはソルボンヌ近くの教会を作業場にして1805年末から取りかかり、弟子ジョルジュ・ルジェの助けを借りて仕上げを終えたのは1808年1月のことでした。同年のサロン・ド・パリで展示され、10年ごと賞を受賞しています。
倉庫からヴェルサイユ、そしてルーヴルへ
作品の所有権は1819年までダヴィッドにありました。その後王立美術館に移りましたが、1837年までは倉庫に保管されたままでした。ルイ・フィリップの指示でヴェルサイユ宮殿の「戴冠の間」に展示され、1889年にルーヴル美術館へと移動しています。
記憶で描いた2作目
作品公開直後の1808年、ダヴィッドはアメリカの事業家から同サイズの複製の注文を受けました。同年から記憶を頼りに2作目の制作に取りかかり、亡命先のブリュッセルで1822年に完成させています。この絵をめぐっては、ルーヴル美術館で作品を見物する人々を描いたルイ=レオポルド・ボワイーの作品も生まれ、現在はメトロポリタン美術館が所蔵しています。
読んだらクイズ
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祝福する教皇ピウス7世ナポレオンの右手には教皇ピウス7世が座っています。もとの下絵では膝の上で手を組んでいるだけの姿でしたが、祝福を与える仕草に描き直されたとされています。教皇はナポレオンが任命した聖職者たちに囲まれています。
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よくある疑問
- 『ナポレオンの戴冠式』はどこにある?
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パリのルーヴル美術館が所蔵しています。1837年までは倉庫に保管され、その後ヴェルサイユ宮殿の「戴冠の間」に展示されましたが、1889年にルーヴル美術館へ移されました。
- 正式なタイトルは何?
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正式には『1804年12月2日、パリのノートルダム大聖堂での大帝ナポレオン一世の成聖式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠式』という長い題名です。これを略して『ナポレオンの戴冠式』と呼ばれています。
- 複製があるって本当?
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本当です。公開直後の1808年、アメリカの事業家から同サイズの複製の注文を受け、ダヴィッドは記憶を頼りに2作目に取りかかりました。亡命先のブリュッセルで1822年に完成させ、1947年にフランスへ戻ってヴェルサイユ宮殿に保管されています。
- 実際には式典を欠席していた人物も描かれている?
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います。ナポレオンの母マリア・レティツィアは兄弟間の諍いに抗議して式典を欠席していましたが、絵では観覧席の目立つ位置に描かれています。母が欠席した理由と同じく、兄ジョゼフ・ボナパルトも招かれず不在でした。
ジャック=ルイ・ダヴィッドのほかの作品
《ホラティウス兄弟の誓い》 《マラーの死》 《サン=ベルナール峠を越えるボナパルト》
出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル



