
美術史家T・J・クラークは、脚色のない初の近代絵画と評しました。しかし実際には、マラーの皮膚病は消され、胸に刺さったままだったはずのナイフは床に描き替えられています。ダヴィッド自身、マラーと同じ山岳派の一員で、ルイ16世の処刑に賛成票を投じています。
見どころ
ピエタを思わせる腕
浴槽の外にだらりと垂れた腕は、ミケランジェロの『ピエタ』としばしば比較されます。皮膚病を患っていたマラーの姿はここでは理想化され、病の跡は描かれていません。
コルデーの名がある手紙
マラーの左手には紙が握られ、暗殺者シャルロット・コルデーの名前が見えます。しかし彼女自身の姿はどこにも描かれていません。
床に落ちたナイフ
浴槽のそばの床には血のついたナイフが落ちています。実際にはコルデーが刺したナイフはマラーの胸に刺さったままでした。「美しい嘘」と評される脚色の一つです。
秘匿された30年
ロベスピエール失脚後、『マラーの死』は歴史の表舞台から姿を消しました。ダヴィッドの要請で1795年に手元へ返却されましたが、彼自身も一般治安委員会に所属していたことで起訴される立場にあり、絵の存在は死去する1825年まで秘されました。ベルギーへの亡命中、絵は愛弟子アントワーヌ=ジャン・グロによってフランス国内のどこかに隠されていました。1846年、シャルル・ボードレールによる論評をきっかけに再発見され、20世紀にはピカソやムンクも同じ主題で作品を描いています。
宗教画から借りた光
ダヴィッドは、長らく王政やカトリック教会と結びついてきた神聖なイメージを、新しい共和国に取り込もうとしました。革命の殉教者マラーの顔や身体を、キリスト教の殉教者を思わせる柔らかで温かな光で描いています。ダヴィッドが称賛していたカラヴァッジオの『キリストの埋葬』の劇的な光の使い方も、この絵に影響しているとされます。
映画や音楽に残る面影
1897年、フランスの監督ジョルジュ・アトはこの絵を題材にした初期の無声映画を撮っています。構図はスタンリー・キューブリック監督『バリー・リンドン』(1975年)の一場面や、デレク・ジャーマン監督『カラヴァッジオ』(1986年)の模倣場面にも影響を与えました。2010年のドキュメンタリー『ヴィック・ムニーズ/ごみアートの奇跡』では、リオデジャネイロ郊外の廃棄物でこの絵が再現されています。
よくある疑問
- 『マラーの死』はどこにある?
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ブリュッセルのベルギー王立美術館が所蔵しています。1886年、ダヴィッドの遺族の申し出により展示されるようになりました。
- 何が描かれている?
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フランス革命の指導者ジャン=ポール・マラーが、1793年7月13日にシャルロット・コルデーに暗殺され、浴槽の中で息絶えた場面です。マラーは皮膚炎の治療のため、オートミールを浸した浴槽で仕事をすることがありました。
- なぜダヴィッドがこの絵を描いたの?
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ダヴィッドはマラーと同じ山岳派の一員で、革命保安委員会の委員でもありました。国民公会で、友人マラーの死を悼み「人々の幸せのために描く」と誓い、この絵を殉教者を記念する作品として仕上げています。
- 絵は史実どおりなの?
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いいえ。マラーの皮膚病は消され、胸に刺さっていたはずのナイフは床に落ちて描かれ、暗殺者コルデーの姿もありません。一部の批評家はこの絵を、犠牲者に焦点を当てて構成された「ひどく美しい嘘」と評しています。
基本データ
- 作者
- ジャック=ルイ・ダヴィッドJacques-Louis David
- 制作年
- 1793年
- 種別
- 絵画
- 技法・素材
- 油彩
- 寸法
- 165 × 128 cm
- 様式
- Neoclassical painting
- 所蔵
- ベルギー王立美術館(ブリュッセル)
- 展示室
- 近代
ジャック=ルイ・ダヴィッドのほかの作品
《ホラティウス兄弟の誓い》 《サン=ベルナール峠を越えるボナパルト》 《ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠》
出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル