三代目大谷鬼次の江戸兵衛

東洲斎写楽《三代目大谷鬼次の江戸兵衛》1794年(寛政6年)
三代目大谷鬼次の江戸兵衛Kabuki Actor Ōtani Oniji III as Yakko Edobei in the Play The Colored Reins of a Loving Wife (Koi nyōbō somewake tazuna)
1794年(寛政6年)
紙、多色摺木版画(雲母摺)、38.1 × 25.1 cm
メトロポリタン美術館(ニューヨーク)
何がすごいのか

わずか10か月ほどの活動期間で140点を超える版画を残し、姿を消した謎の絵師、東洲斎写楽の代表作です。長く「奴江戸兵衛」と呼ばれてきましたが、東京国立博物館は台本と番付を調べ直し、誤りと判断しました。同じ図柄の摺りは世界各地の美術館に分蔵され、寸法もそれぞれ微妙に異なります。

見どころ

にらみ上げる顔

顎を突き出し下から睨み上げる表情は、役者本人の顔立ちを残しながら、目、口、髪を誇張して江戸兵衛の攻撃性を強調しています。

開かれた両手

胸の前から左右に大きく開かれた両手は、体との比率から見ると小さく描かれています。東京国立博物館は、この不自然さがかえって江戸兵衛の殺気を生み出していると説明しています。

黒雲母摺の背景

背景には具体的な景物を描かず、黒地に雲母を摺り込む黒雲母摺が用いられています。雲母の粒子が光を反射し、見る角度によって背景の輝きが変わります。

写楽・第1期の役者絵

写楽は寛政6年5月、江戸三座の夏興行に出演した役者を描く大判の役者大首絵28種を、ほぼ同時に発表しました。版元はすべて蔦屋重三郎です。無名に近い新人絵師が、大判の雲母摺という上製の錦絵を一度に28図も発表したことは、当時としては異例の扱いだったとされています。

対になる一平の図

写楽は本作と同じ場面から、襲われる奴一平を描いた「初代市川男女蔵の奴一平」も同時に制作しました。江戸兵衛の顔や両手の向きは一平の図と呼応するよう構成されており、二図を並べると四条河原の襲撃場面が立ち現れます。ただし両図は一体に摺られた続絵ではなく、それぞれ独立した一枚の版画です。

近代に高まった評価

写楽の作品は当時の役者絵の購買者に必ずしも受け入れられず、短期間で制作をやめたとみられています。近代に入ると浮世絵研究が進み、1910年にドイツの研究者ユリウス・クルトが写楽を主題とする研究書を刊行したことで、世界的な評価が高まりました。以後、本作の摺りは大英博物館、シカゴ美術館、メトロポリタン美術館などへ収蔵されています。

よくある疑問

『三代目大谷鬼次の江戸兵衛』はどこにある?

版画のため複数の摺りが現存し、東京国立博物館、メトロポリタン美術館、大英博物館、シカゴ美術館、アムステルダム国立美術館などがそれぞれ所蔵しています。東京国立博物館所蔵本は、同館所蔵の第1期作品27枚とともに重要文化財に指定されています。

「奴江戸兵衛」ではないの?

従来は「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」と呼ばれてきましたが、東京国立博物館が台本や番付を調べ直したところ、江戸兵衛は鷲塚八平次の家来ではなく、役名にも「奴」が付いていないことがわかりました。同館は現在「奴」を外した「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」を用いています。ただし1962年の重要文化財指定名称は「大谷鬼次の奴江戸兵衛図」のままです。

何の場面を描いている?

寛政6年(1794年)5月に河原崎座で上演された歌舞伎『恋女房染分手綱』三幕目、四条河原の襲撃場面です。鷲塚八平次に頼まれた江戸兵衛が、初代市川男女蔵演じる奴一平を襲い、公金を奪おうとしています。写楽は一平を描いた「初代市川男女蔵の奴一平」も同時に制作しました。

写楽とはどんな絵師?

寛政6年5月から翌年1月までの約10か月間だけ活動し、140点を超える版画を発表した後、忽然と姿を消した謎の絵師です。当時の記録『浮世絵類考』には、あまりに写実的に描きすぎて役者ファンに受け入れられなかったという趣旨の記述があります。1910年にドイツの研究者ユリウス・クルトが研究書を刊行したことで、世界的に評価が高まりました。

基本データ

作者
東洲斎写楽Sharaku
制作年
1794年(寛政6年)
種別
浮世絵
技法・素材
紙、多色摺木版画(雲母摺)
寸法
38.1 × 25.1 cm
所蔵
メトロポリタン美術館(ニューヨーク)

出典・画像について

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