
革命の5年前に完成した絵ですが、革命の象徴的な1枚として記憶されています。3兄弟が剣に手をかけるこの「誓い」の場面は、古代の史料には存在しないダヴィッドの創作です。3本の剣のうち2本は曲がり、1本だけがまっすぐで、誰が生き残るかをすでに暗示しています。
見どころ
剣に誓う3兄弟
画面左側でホラティウス三兄弟がローマ式敬礼をし、父が掲げる剣に手をかけて誓いを立てています。男たちの表情には感情がまったく表れていません。
3本の剣を掲げる父
中央で父が3本の剣を掲げています。2本は曲がった剣、1本はまっすぐな剣で、これは兄弟のうち1人だけが生き残る運命を暗示しているといわれています。
泣き崩れる女たち
右側では3人の女性が泣いています。敵味方に分かれた両家に嫁ぎ、あるいは嫁ぐ予定だった彼女たちだけが、この絵で唯一感情を表しています。
ローマ留学から誕生した名声
1774年、ダヴィッドは『アンティオコスとストラトニケ』でローマ賞を獲得し、フランス政府の国費留学生として1775年から5年間ローマに滞在しました。帰国後の展示会はドゥニ・ディドロに賞賛され、国王ルイ16世からルーヴル宮殿への滞在を許されています。この絵は、その国王からの注文で描かれました。
妹殺しの場面を諦めた理由
当初ダヴィッドは、生き残った兄弟が、婚約者の死を嘆いてローマを罵る妹を怒りのあまり殺害する場面を描こうとしていました。妹の遺体のそばで剣を振り上げるスケッチが現存しています。のちに彼は、公的義務が個人の感傷を超えるというメッセージには主題が過激すぎると考え直しました。ただし1789年の『ブルータス邸に息子たちの遺骸を運ぶ警士たち』では、これと近い場面を描いています。
サロンでの展示をめぐる騒動
王族や聖職者はこの絵を賞賛し、法皇自らが鑑賞を望んだとされます。しかし配達の遅れでギャラリーの隅に展示されることになり、ライバルの芸術アカデミーを利する結果になりました。一般市民の不満を受けて本来の場所に移されたのち、ダヴィッドは展示を数週間延長し、記者たちが他の全作品について書きながら彼の絵にだけ触れないという事態を招きました。
よくある疑問
- 『ホラティウス兄弟の誓い』はどこにある?
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パリのルーヴル美術館が所蔵しています。1784年、ジャック=ルイ・ダヴィッドが国王ルイ16世の依頼で完成させました。
- 何が描かれている?
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ローマとアルバ・ロンガの争いを終わらせるため、それぞれ3人1組の戦士が決闘することになった場面です。ホラティウス家の三兄弟が、父の掲げる剣にかけて祖国への忠誠を誓っています。
- なぜ革命前なのに革命の象徴とされるの?
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国王ルイ16世は、国家、ひいては王への忠誠を描かせる意図でこの絵を注文しました。しかしフランス革命が近づく中、家族や教会より国家への忠誠を描いたこの絵は、時代を象徴する1枚として受け止められるようになりました。
- 決闘の結果どうなった?
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クリアトゥス兄弟は敗れ、ホラティウス兄弟は1人だけ生き残りました。帰還した彼は、婚約者の死を嘆いてローマを罵る妹の言葉に激怒し、妹を殺害したと伝えられています。
基本データ
- 作者
- ジャック=ルイ・ダヴィッドJacques-Louis David
- 制作年
- 1784年
- 種別
- 絵画
- 技法・素材
- 油彩、カンヴァス
- 寸法
- 326 × 420 cm
- 様式
- 新古典主義
- 所蔵
- ルーヴル美術館(パリ)
- 展示室
- 近代
ジャック=ルイ・ダヴィッドのほかの作品
《マラーの死》 《サン=ベルナール峠を越えるボナパルト》 《ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠》
出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル