
この作品のデータ
| 作者 | ウジェーヌ・ドラクロワ | 同じ作家の作品 6点 |
|---|---|---|
| 制作年 | 1822年 | |
| 時代 | 近代 | 同じ時代の作品 43点 |
| 様式 | ロマン主義 | 同じ様式の作品 17点 |
| 種別 | 絵画 | |
| 技法・素材 | 油彩、カンヴァス | |
| 所蔵 | ルーヴル美術館パリ | 同じ所蔵の作品 26点 |
| 有名度 | ★★★ |
ドラクロワが初めてサロンに出した絵で、審査員の一人からは「殴り描き」と酷評されました。それでも国が2,000フランで買い上げています。亡者の体を伝う水滴は混ぜない4色の絵具を並べて描かれ、ドラクロワ自身が色彩家としての出発点と語った部分です。
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見どころ
ダンテとウェルギリウス
赤い頭巾のダンテは恐怖で体の均衡を失い、隣のウェルギリウスにすがっています。落ち着いた詩人と怯える詩人の対比が、この絵の芯です。頭巾の赤は遠くの炎と響き合い、漕ぎ手プレギュアスの衣の青とも対比をなしています。
画家が自賛した頭部
ウェルギリウスと漕ぎ手のあいだに、舟の向こう側から腕を伸ばして縁に手をかける亡者がいます。ドラクロワは日記で、これをこの絵で最も優れた頭部と書きました。フラックスマンの『神曲』の挿絵が着想源と考えられています。
4色に分けた水滴
手前の亡者たちの体を伝う水滴は、白・黄・緑・赤の絵具を混ぜずに塗り分けて描かれています。ハイライトが白、水滴の長さが黄と緑、影が赤です。当時はほとんど見られなかった描き方でした。
2か月半で描いたデビュー作
1821年、ドラクロワは妹への手紙で、翌年のサロンに絵を出して「少しでも正しい評価をされたい」と書いています。当初は進行中のギリシャ独立戦争を描くつもりでしたが、この案はやめました。選んだのは、フランスではあまり知られていなかった地獄篇第8歌です。学校のノートに地獄篇を書き写すほど、ダンテには早くから親しんでいました。
制作は1822年1月に始まり、2か月半休まず描いて4月15日までに仕上がりました。完成後は休養が必要なほど衰弱しています。師のゲランは出品に反対しましたが、入選しました。額縁を買うお金がなかったため、審査員の画家グロが自分の額縁職人に絵を送っています。人物のポーズにはミケランジェロやルーベンスからの借用が指摘されており、左端の亡者の頭部はジェリコーの『メデューズ号の筏』から取られたとみられています。
賛否のなかでの買い上げ
サロンは1822年4月24日に開幕しました。審査員のグロは「抑制されたルーベンス」と評し、法律家アドルフ・ティエールは新聞で「ミケランジェロの大胆さとルーベンスの豊かな才能」をたたえています。一方で、伝統から外れた粗い筆づかいを批判する声もありました。
5月末、王立美術館の総長フォルバン伯爵が購入を打診します。ドラクロワは2,400フランを希望しつつ、値付けを伯爵に任せました。絵は7月に買い上げられ、存命の画家の作品を集めるリュクサンブール美術館に入ります。ここに入った絵は画家の死後にルーヴルへ移るため、若いドラクロワにとって大きな励みになりました。約2年後に絵を見直したドラクロワは、満足しつつも活気が足りないと書き、制作中の『キオス島の虐殺』にも同じ欠点があると感じていました。国はその後も、1831年に七月革命を描いた『民衆を導く自由の女神』を3,000フランで買い上げています。
自ら補修し、模写され続けた絵
1859年には絵具が浮き上がり、ドラクロワはこのままでは絵が失われると訴えて、補修を自分の手で行いたいと願い出ました。作業は膨れの再発に悩まされながら、1861年2月8日に終わっています。
リュクサンブール美術館で誰でも見られたことから、本作は19世紀に最も多く模写されたドラクロワ作品になりました。クールベ、セザンヌ、マネが模写しており、マネの2点はリヨン美術館とメトロポリタン美術館が所蔵しています。2018年には、ラース・フォン・トリアーの映画『ハウス・ジャック・ビルト』でこの絵の場面が再現されました。
読んだらクイズ
この拡大は、どの見どころ?

画家が自賛した頭部ウェルギリウスと漕ぎ手のあいだに、舟の向こう側から腕を伸ばして縁に手をかける亡者がいます。ドラクロワは日記で、これをこの絵で最も優れた頭部と書きました。フラックスマンの『神曲』の挿絵が着想源と考えられています。
次に見る1枚
よくある疑問
- 『ダンテの小舟』はどこにある?
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パリのルーヴル美術館が所蔵しています。1822年に国が買い上げたあとはリュクサンブール美術館に置かれ、ドラクロワの死後の1874年にルーヴルへ移りました。展示されているのはドノン翼です。
- 何が描かれている?
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ダンテ『神曲』地獄篇第8歌の場面です。詩人ダンテが古代ローマの詩人ウェルギリウスに支えられ、プレギュアスの漕ぐ小舟でステュクスの流れを渡っています。舟には亡者たちがしがみつき、背景では地獄の都ディスが燃えています。
- モデルは誰?
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ドラクロワは助手のピエール・アンドリューに、モデルはマルタン・フランソワ・スイス1人だけだったと語っています。習作もこの話と食い違わず、手前の女性も男性モデルの胸の筋肉を丸く描き直したものとみられています。衣で体の形が見えないウェルギリウスだけは、モデルを使わずに描いたようです。
- 『地獄のダンテとウェルギリウス』と同じ絵?
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同じ作品の別名です。1822年のサロンには『プレギュアスに導かれ、地獄の都ディスの壁を囲む湖を渡るダンテとウェルギリウス』という長い題で出品されました。ブグローが1850年に描いた『ダンテとウェルギリウス』は、題が似ているだけの別の作品です。
ウジェーヌ・ドラクロワのほかの作品
《キオス島の虐殺》 《墓場の少女》 《サルダナパールの死》 《民衆を導く自由の女神》
出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル



