
この作品のデータ
| 作者 | 葛飾応為 | |
|---|---|---|
| 制作年 | 文政〜安政年間頃(1818〜1860年) | |
| 時代 | 日本・近世まで | 同じ時代の作品 42点 |
| 様式 | 浮世絵 | 同じ様式の作品 12点 |
| 種別 | 絵画 | |
| 技法・素材 | 肉筆画 | |
| 所蔵 | 太田記念美術館東京 | |
| 有名度 | ★★★ |
この絵には作者の落款がありません。作者の手がかりは、画面の提灯に書かれた文字です。その文字から、北斎の娘である葛飾応為の作品とされました。光と影をくっきり描き分けた画面は当時の浮世絵の常識から大きく外れ、レンブラントやフェルメールを思わせると評されています。
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見どころ
黒い影になった花魁
格子のそばまで近づいた一人の花魁は、顔まで黒いシルエットで描かれています。馴染みの客が来たのかもしれませんが、表情はうかがえません。
格子の内と外の明暗
格子の内側では着飾った花魁たちが明るく照らされ、外でそれを眺める男たちは暗い影になっています。歴史学者の柴桂子は、この絵を「吉原の浮世絵でもっとも美しい」と評しました。
「應」の字の大提灯
画面右の大きな提灯には「應」の字があります。中央の男の提灯に「為」、頭巾をかぶった男が持つ細長い提灯に「栄」が記され、3つ合わせて作者を示します。提灯の灯りは足元を照らし、人物の影を際立たせています。
戦火を逃れて岡山で再発見
この絵が記録に現れる最も古い例は、1929年4月の雑誌『浮世絵志』です。1929年から1932年ごろには、版画家の高橋弘明と版元の孚水画房が複製版画を作りました。しかし1946年9月に美術雑誌に載ったのを最後に、消息がわからなくなります。戦時下に焼けたか、散逸したと考えられていました。
再発見が報告されたのは1982年、集英社の『肉筆浮世絵第七巻 北斎』の中でした。戦乱を避けるため、岡山県の旧家に移されていたといいます。1984年には、朝日新聞社が主催した「肉筆浮世絵名作展 咲き薫る江戸の女性美」で初めて一般に公開されました。
出島の絵師の作品から着想
吉原は1657年に浅草千束村日本堤下(現在の台東区千束四丁目付近)へ移り、新吉原と呼ばれました。移転後は夜の営業も許されるようになり、この絵はその夜の張見世を描いています。
檀乃歩也は著書『北斎になりすました女 葛飾応為伝』で、この絵が川原慶賀の『妓楼格子先図』を着想のもとにしていると指摘しています。川原慶賀は、オランダ商館長のお抱え絵師でした。応為がどのような経緯でその絵を見たのかは、わかっていません。
父の北斎が描いた『神奈川沖浪裏』や『凱風快晴』は木版画ですが、この絵は筆で直接描いた肉筆画です。
2つの小説を生んだ絵
カナダの作家キャサリン・ゴヴィエは、2006年にアーサー・M・サックラー・ギャラリーで開かれた北斎展をきっかけに、応為に関心を持ちました。そしてこの絵をもとにした小説『北斎と応為』を2011年に出版しています。
日本では、朝井まかてがこの絵を見たことから、応為を主人公にした小説『眩』を2016年に出版しました。
よくある疑問
- 『吉原格子先之図』はどこにある?
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東京都の太田記念美術館が所蔵しています。戦後しばらく行方がわからなくなっていましたが、再発見されたのち同館が購入しました。
- 落款がないのに、なぜ葛飾応為の作品とわかる?
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画面の3つの提灯に「應」「為」「栄」の字が書かれているためです。「應為」は画号の応為を、「栄」は応為の実名であるお栄を指します。応為が自分の作品だと示した隠し落款と言われています。
- 葛飾応為とは? 北斎の娘?
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江戸時代後期の浮世絵師で、葛飾北斎の娘です。飯島虚心の『葛飾北斎伝』に、絵を嗜んでいたと書かれている以外はほとんど知られていませんでした。この絵で画風が明らかになり、1931年から1933年にかけて浮世絵の画集や解説書で相次いで取り上げられました。
- 何が描かれている?
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夜の新吉原で、張見世の前を行き交う人々です。格子の中に着飾った花魁たちが並び、外から男たちが眺めています。『吉原夜景図』と呼ばれることもあります。
出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル
