相馬の古内裏

歌川国芳《相馬の古内裏》1845〜1846年頃(弘化2〜3年頃)
歌川国芳Utagawa Kuniyoshi
相馬の古内裏Takiyasha the Witch and the Skeleton Spectre
1845〜1846年頃(弘化2〜3年頃)
木版多色刷、大判錦絵三枚続
各地に現存(版画)

この作品のデータ

作者歌川国芳同じ作家の作品 2点
制作年1845〜1846年頃(弘化2〜3年頃)
時代日本・近世まで同じ時代の作品 42点
様式—
種別浮世絵
技法・素材木版多色刷、大判錦絵三枚続
所蔵各地に現存版画
有名度★★★
展覧会大英博物館日本美術コレクション 百花繚乱〜海を越えた江戸絵画大阪中之島美術館(大阪府)2026年10月31日(土)〜2027年1月31日(日)これから
何がすごいのか

原作の読本で滝夜叉姫が呼び出すのは数百体の骸骨で、東西に分かれて合戦をしてみせます。歌川国芳はそれを一体の巨大な骸骨に置き換え、三枚続の画面の半分以上を骨で埋めました。骨格の描き方が正確なのは、西洋から伝わった解剖書の骨格図を参考にしたためとされています。

見どころ

御簾を破る骸骨

黒い闇から身を乗り出した骸骨が、骨ばった指で破れた御簾をかき分けています。目の穴や歯、首の骨まで描き分けられ、写実的な骸骨を描いた点でも評価の高い作品です。

呪文を読む滝夜叉姫

左の一枚では、滝夜叉姫が巻物に書かれた呪文を唱えて骸骨を呼び出しています。物語の中では、平将門の娘という設定の人物です。

身構える大宅光圀

中央の下では、源頼信の家臣・大宅光圀が頭上の骸骨を見上げて身構えています。その右では、連れの者が床に身をかがめています。

将門の娘が住んだ荒れ御所

平将門は10世紀、下総国に「東の朝廷」を立てて都の天皇に対抗しました。この反乱は939年に鎮められ、将門は討たれました。新皇を名乗った将門の御所の跡は、その後荒れるにまかされ、本作の舞台になっています。

物語の滝夜叉姫は、この荒れた館に住み続けた将門の娘です。将門や藤原純友の残党が活躍する「前太平記の世界」は、歌舞伎でもよく知られた題材でした。原作の物語では、光圀は朝廷の命を受けて、生き残った反乱の加担者を探しに来ています。

解剖書と見世物から生まれた骨

国芳がなぜこの新しい表現をとったのかについて、浮世絵研究者の鈴木重三は、解剖書のほかに当時の見世物との関係も考える必要があると指摘しました。三枚の紙を並べてはじめて骸骨の大きさがわかるつくりで、右の一枚はほとんど肋骨と背骨だけで埋まっています。

国芳には、人の体を組み合わせて顔を描いたとしよりのよふな若い人だのような戯画もあります。弟子の月岡芳年は、月百姿 源氏夕顔巻で物語の亡霊を描きました。

よくある疑問

『相馬の古内裏』はどこにある?

木版画なので原本は1点ではなく、複数の摺りが各地に残っています。東京富士美術館、大英博物館、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館、ホノルル美術館などが所蔵しています。ホノルル美術館の1枚は、1941年にヴィクター・S・K・ヒューストンから寄贈されたものです。

何の場面を描いている?

山東京伝の読本『善知安方忠義伝』の一場面です。将門の残党を探しに相馬の古御所を訪れた大宅光圀を、滝夜叉姫が妖術で呼び出した骸骨で脅かしています。相馬の古御所は、平将門が下総国猿島郡に置いた御所の跡です。

この骸骨は「がしゃどくろ」?

いいえ。描かれているのは滝夜叉姫が呼び出した骸骨で、がしゃどくろは本作や原作とは関係なく生まれた妖怪です。ただ、がしゃどくろを絵にするときには、この版画の骸骨がよく手本にされてきました。

なぜ題名が二つある?

国芳が付けた個別の題名はありません。左上の詞書の冒頭にある「相馬の古内裏」か、描かれた場所から「相馬の古御所」と呼ばれています。

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《としよりのよふな若い人だ》

出典・画像について

画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル

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