青いドレスのマルガリータ王女

ディエゴ・ベラスケス《青いドレスのマルガリータ王女》1659年
青いドレスのマルガリータ王女Infanta Margarita Teresa in a Blue Dress
1659年
油彩、カンヴァス、127 × 107 cm
美術史美術館(ウィーン)

この作品のデータ

何がすごいのか

近くで見ると、髪もリボンも色の「染み」にしか見えません。ところが少し離れると、8歳の王女が立つ立体的な空間が現れます。ベラスケスが亡くなる前年に仕上げた最後の完成作品の一つで、一度は失われたと考えられ、1923年に美術館の倉庫から見つかりました。

見どころ

緑のリボンと金色の髪

肩まで垂れたブロンドの髪には緑のリボンが結ばれ、王女はまじめな表情でこちらを見ています。青と銀の衣装に囲まれて、白い顔色がいっそう引き立つよう描かれています。

毛皮のマフに置いた左手

王女は左手に毛皮の大きなマフを持っています。顔とこの左手の描写は完成度が高く、ルノワールの作品を思わせると評されています。マフはウィーンからの贈り物だったかもしれない、という見方もあります。

背後のコンソールと置物

画面左奥には壁際の台(コンソール)があり、置物や時計が並んでいます。近づくと絵具を置いただけの筆跡ですが、離れて見ると、奥行きのある部屋の一角が現れます。

待ち望まれた王女

16世紀にハプスブルク家がオーストリアとスペインの系統に分かれてから、両家は婚姻を重ねて結びつきを強めてきました。母のマリアナ・デ・アウストリアも、もとはスペイン皇太子バルタサール・カルロスの婚約者でした。皇太子が早くに亡くなったため、1649年に叔父にあたるフェリペ4世と結婚しています。

フェリペ4世の男の子は、バルタサール・カルロスのあと死産か生後まもなく亡くなることが続いていました。そのため1651年の王女の誕生は大きな喜びで迎えられ、沈みがちだった1650年代の宮廷を明るくする存在になりました。代表作『ラス・メニーナス』の中央にいるのも、この王女です。王女は1666年、15歳でレオポルト1世に嫁ぎ、その7年後に亡くなりました。

倉庫で見つかった肖像

この絵は、一度は失われたと考えられていました。1923年に美術史美術館の倉庫で見つかったとき、画面はおそらく18世紀に切り詰められ、楕円形に変わっていました。1953年に慎重で大規模な修復が行われ、本来の大きさに戻されています。

本作には工房がつくった複製が1点あります。ベラスケス自身は手を入れておらず、以前はウィーンにありましたが、今はブダペスト国立西洋美術館が所蔵しています。複製の王女は青ではなく、緑色の衣装を着ています。

青いベルベットと銀の組紐

王女が着ているのは、1640年代に流行した「グァルダインファンデ」と呼ばれる、スカートを大きく張り出させた絹の衣装です。銀箔の組紐がベルベットの深い青を引き立て、胸元には王女の髪に似た金色の長い鎖が斜めに掛かっています。画面右側の濃い褐色とあわせて、色彩画家としてのベラスケスの腕前がよく表れています。

離れて見ると形がまとまる筆づかいについて、美術史美術館は印象主義的ともいえる効果だと説明しています。公式の肖像画でありながら、人物への洞察と芸術としての質が釣り合った作品と評されています。

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よくある疑問

『青いドレスのマルガリータ王女』はどこにある?

ウィーンの美術史美術館が所蔵しています。同じ年に描かれた『皇太子フェリペ・プロスペロの肖像』とともに、スペインからウィーンへ送られました。

マルガリータ王女は何歳のとき?

8歳のときの姿です。王女は1651年7月に生まれ、この絵は1659年に描かれました。ベラスケスは3歳と5歳の王女も描いています。

なぜウィーンに送られたの?

将来の夫と決まっていたオーストリアのレオポルト1世に、王女の成長ぶりを伝えるためです。父のフェリペ4世は、3歳・5歳・8歳の肖像をそれぞれウィーンへ送りました。3点とも美術史美術館に残っています。

『ラス・メニーナス』の王女と同じ人?

同じ人物です。1656年の『ラス・メニーナス』で画面の中央に描かれた少女が、マルガリータ王女です。本作はその3年後の姿にあたります。

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