ベラスケスが生涯に描いた裸婦画で現存する唯一の作品です。鏡に映るヴィーナスの顔はあえて曖昧にぼかされて描かれています。1914年には参政権運動家に肉切り包丁で切りつけられ、7か所の傷を負いましたがほぼ元通りに修復されました。
見どころ
鏡に映る曖昧な顔
キューピッドが支える鏡にヴィーナスの顔が映っていますが、その特徴はぼかされ曖昧にしか描かれていません。この不明瞭さこそが、絵の本質を示す鍵ではないかと論じた評論家もいます。
背を向けたポーズ
ヴィーナスは鑑賞者に背を向けて横たわっています。細いウエストと張り出したヒップで描かれた肢体は、それまでのイタリアの豊満な裸婦画とは一線を画すものでした。
色あせたシーツ
ベッドのシーツはヴィーナスの体に沿ってしわになり、なめらかな肢体を強調しています。赤・白・灰色の濃淡で構成されていますが、灰色の部分はもともと深いモーブ色だったことが研究でわかっています。
裸婦画が許されなかった時代
17世紀のスペインでは、裸婦画は公式に禁じられていました。わいせつ、不道徳とみなされた画家は破門されたり、罰金や1年間の国外追放といった処罰を受けたりしました。それでも知識階級や貴族の間では、神話を題材にした裸婦画が個人のコレクションとしてひそかに所有されていました。
ベラスケスのパトロンだったスペイン王フェリペ4世も、ティツィアーノやルーベンスの裸婦画を多く所有していました。王のお気に入りの画家だったベラスケスは、裸婦画を描くことをとくに問題視される立場にはありませんでした。
所有者を転々とした来歴
本作は、フェリペ4世の近臣ガスパール・デ・グスマンの1651年の絵画目録に記録されていたことが判明しています。それ以前はマドリードの画商ドミンゴ・ゲーラ・コロネルが所有していたともいわれます。1802年にはスペイン王カルロス4世の命で首相マヌエル・デ・ゴドイの手に渡り、ゴヤの『裸のマハ』『着衣のマハ』と並べて暖炉のそばに飾られました。
その後1813年、画家トーマス・ローレンス卿の助言を受けたジョン・モリットが500ポンドでこの絵を購入し、イングランドに持ち込みました。1906年にナショナル・ギャラリーが購入するまで、およそ100年間イギリスの個人所有として伝わりました。
後世に与えた影響
ベラスケスは19世紀半ばまであまり評価されず、この作品を模写する画家もほとんどいませんでした。1857年にマンチェスターで開催された展覧会でベラスケスの名が広く紹介され、ナショナル・ギャラリー収蔵後は多くの画家に研究されるようになります。マネは『オランピア』でこの絵のポーズを反転させ、天界の女神ではなく生身の女性の裸婦画として描き直しました。
よくある疑問
- 『鏡のヴィーナス』はどこにある?
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ロンドンのナショナル・ギャラリーが所蔵しています。1906年、新設されたナショナル・アート・コレクション・ファンドが最初に購入した絵画がこの作品でした。
- なぜ「ロークビーのヴィーナス」と呼ばれる?
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1813年にジョン・モリットがこの絵を購入し、ヨークシャーの自邸ロークビー・パークに飾ったことに由来します。英語圏ではこの呼び名がよく使われています。
- 切りつけられた事件とは?
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1914年3月10日、カナダ人の参政権運動家メアリー・リチャードソンが肉切り包丁でヴィーナスの肩から腰にかけて7か所を切りつけました。前日に仲間の運動家エメリン・パンクハーストが逮捕されたことへの抗議とされ、リチャードソンには美術品損壊の最高刑である禁固6か月が言い渡されました。絵は主任修復家によってほぼ元通りに直されています。
- モデルは誰?
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はっきりとはわかっていません。ベラスケスがローマに滞在していた頃の愛人ではないかと考えられており、この女性との間に子をもうけたとも言われていますが、確証はありません。
基本データ
- 作者
- ディエゴ・ベラスケスDiego Velázquez
- 制作年
- 1647〜1651年頃
- 種別
- 絵画
- 技法・素材
- 油彩、キャンバス
- 寸法
- 122 × 177 cm
- 所蔵
- ナショナル・ギャラリー(ロンドン)
- 展示室
- バロック・ロココ
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出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル
