
ゴッホは1886年にパリへ移り住むまで、自画像を一枚も描いていませんでした。ところがパリ時代に突然量産を始め、1887年だけで22点を仕上げています。理由についてゴッホ自身は「モデルを雇う金がなかったから」と語っています。
見どころ
モデル代を払えない画家
ゴッホは自画像を描く理由について、「モデルがいないから」「自分の肖像をうまく表現できたら、他の人々の肖像も描けると思うから」と述べています。自画像そのものに高い価値を置いていなかった可能性が指摘されています。
パリで変わった色彩
1886年にパリへ移ると、ゴッホは印象派・新印象派の画家たちと交流し、多大な影響を受けました。それまでの暗いパレットが時代遅れだと感じ、明るい色調を取り入れながら独自の画風を模索していきます。
小さなキャンバス
自画像には小さい画面や使用済みのキャンバスを選んでいるものが多いことが知られています。33×41cmというこの作品の大きさも、そうした自画像の作り方と重なります。
パリで一変した画風
ゴッホは1869年から画商グーピル商会に勤めていましたが、1876年に成績不振で解雇されました。1886年2月、弟テオを頼ってパリに移り住むと、印象派や新印象派の画家たちと出会い、明るい色調の絵を描くようになります。この時期は花の絵も多く、『タンギー爺さん』などが知られています。当時流行していたジャポニスムを受けて、日本の浮世絵の収集や模写にも取り組みました。
自画像という実験
パリ時代の自画像は、経済的に困窮する中で画材とモデル代を切り詰めながら描かれました。ゴッホはのちにアルルへ移り、1888年末の耳切り事件のあとにも耳に包帯をした自画像を残していますが、この作品はそれより前、パリでの模索の時期に位置づけられます。
よくある疑問
- 『自画像』はどこにある?
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オランダ・アムステルダムのファン・ゴッホ美術館が所蔵しています。ゴッホは生涯に37点前後の自画像を残したとされ、この作品はそのうちの一点です。
- 耳に包帯をした自画像とは違う絵?
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はい、別の作品です。耳に包帯を巻いた自画像は、1888年12月23日にゴッホが自らの左耳を切り落とした事件のあと、1889年1月のアルルで描かれました。この作品はその2年前、1887年のパリ時代に描かれています。
- なぜこんなに自画像を描いた?
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ゴッホはオランダ時代には自画像を全く残していませんが、1886年のパリ移住後に突如として多数描くようになり、1887年だけで22点にのぼります。制作と生活両面での激しい動揺と結びつけて説明されています。
- 生涯で何点の作品を残した?
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約10年の活動期間に油絵約860点、水彩画約150点、素描約1030点、版画約10点、手紙のスケッチ約130点を残し、合計2100枚以上とされています。
基本データ
- 作者
- フィンセント・ファン・ゴッホVincent van Gogh
- 制作年
- 1887年
- 種別
- 絵画
- 技法・素材
- 油彩、カンヴァス
- 寸法
- 33 × 41 cm
- 所蔵
- ファン・ゴッホ美術館(アムステルダム)
- 展示室
- 印象派以後
フィンセント・ファン・ゴッホのほかの作品
《ジャガイモを食べる人々》 《タンギー爺さん》 《ひまわり》 《夜のカフェテラス》 《ファンゴッホの寝室》 《星月夜》 《花咲くアーモンドの木の枝》
出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル