
この作品のデータ
| 作者 | フィンセント・ファン・ゴッホ | 同じ作家の作品 14点 |
|---|---|---|
| 制作年 | 1890年2月 | |
| 時代 | 印象派以後 | 同じ時代の作品 105点 |
| 様式 | ポスト印象派 | 同じ様式の作品 19点 |
| 種別 | 絵画 | |
| 技法・素材 | 油彩、カンヴァス | |
| 所蔵 | ファン・ゴッホ美術館アムステルダム | 同じ所蔵の作品 3点 |
| 有名度 | ★★★名画クイズで出題(全作品の解放) |
ゴッホが精神病院で療養していたときに、生まれたばかりの甥のために描いた絵です。甥にはゴッホと同じ「フィンセント」の名がつけられました。花はもとはピンク色が強かったのですが、光にさらされて白っぽく褪色しました。
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見どころ
空を横切る枝
青い空を背景に、白い花をつけたアーモンドの枝が画面いっぱいに広がります。枝を大胆に配置する構図には、日本の浮世絵の影響が指摘されています。
はっきりした輪郭線
枝や花びらの一本一本が、輪郭線でくっきりと縁取られています。陰影で立体感を出す伝統的な油彩の描き方とは違う、平面的な表現です。
褪色した花びら
右上に集まる花の房です。長い年月の間に光を浴び続け、もとの色から白っぽく変わりました。
甥の誕生を祝う手紙のやり取り
1890年1月31日にテオとヨーの間に長男が生まれると、テオは兄に手紙で知らせました。ゴッホは「言葉で表せないほど嬉しい」と返信しています。2月19日には母アンナへの手紙で、青い空を背景にした白いアーモンドの枝の絵を描き始めたと報告しました。3月17日頃の手紙では、この絵が会心の作だと伝えています。
新しい命の象徴
ゴッホは、生まれたばかりの命の象徴としてアーモンドの木の枝を選びました。南フランスでは2月に早くも花を咲かせる木で、当時ゴッホが療養していた季節とも重なります。療養先のサン=レミの精神病院では、前年の1889年6月に『星月夜』も描いています。主題の選び方や、はっきりした輪郭線、画面の中での枝の配置には、日本の浮世絵の影響が見られると言われています。
テオのもとへ
ゴッホは4月29日、この絵を他の作品と一緒にテオへ送りました。テオは5月3日の手紙で絵の到着を伝えています。ゴッホ自身は寝室に飾ってほしいと望んでいましたが、テオ夫妻はリビングのピアノの上を選びました。
家族から美術館へ
テオの死後、この絵はヨーに受け継がれ、その後は息子のフィンセント・ウィレムに渡りました。家族の手から手へと受け継がれてきた絵は、現在はアムステルダムのファン・ゴッホ美術館に収蔵されています。
読んだらクイズ
この拡大は、どの見どころ?

はっきりした輪郭線枝や花びらの一本一本が、輪郭線でくっきりと縁取られています。陰影で立体感を出す伝統的な油彩の描き方とは違う、平面的な表現です。
次に見る1枚
よくある疑問
- 『花咲くアーモンドの木の枝』はどこにある?
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アムステルダムのファン・ゴッホ美術館が所蔵しています。ゴッホ財団の所有です。
- 誰のために描かれた?
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1890年1月31日に生まれた弟テオの長男のために描かれました。テオは兄と同じ「フィンセント・ウィレム」という名をつけると手紙で伝え、ゴッホはその報告を受けて描き始めています。
- なぜアーモンドの木が選ばれた?
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南フランスでは2月に早くも花を咲かせる木で、ゴッホは新しい生命の象徴としてこの木を選びました。制作地サン=レミ=ド=プロヴァンスの気候に合った題材です。
- どこに飾られていた?
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ゴッホはテオとヨー夫妻の寝室に掛けてほしいと考えていましたが、2人はリビングのピアノの上に飾りました。
フィンセント・ファン・ゴッホのほかの作品
《ジャガイモを食べる人々》 《モンマルトルの風車》 《自画像》 《タンギー爺さん》 《ひまわり》 《夜のカフェテラス》 《ファンゴッホの寝室》 《赤い葡萄畑》 《ローヌ川の星月夜》 《跳ね橋》 《星月夜》 《ポプラ林の中の二人》
出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル



