死の島

アルノルト・ベックリン《死の島》1886年
死の島Isle of the Dead
1886年
油彩、板、80 × 150 cm
ライプツィヒ造形美術館(ライプツィヒ)
何がすごいのか

ベックリンは謎めいた「死の島」というモチーフを1880年から1886年にかけて5点描き、少しずつ違う絵に仕上げました。フロイトやレーニン、クレマンソー、作曲家ラフマニノフ、ヘッセまでもがこの絵を好んで部屋に飾ったとされ、20世紀半ばのヨーロッパで非常に有名になります。一方でこの絵の持つペシミズムと死のイメージは、ヒトラーとナチスの理想にも共鳴しました

見どころ

白い衣の人物

水門を前にした船には、白い布に覆われて立つ人の姿があります。すぐ後ろには花綱で飾られた白いものがあり、棺と解釈されています

密生する糸杉の木立

小島には高く暗い糸杉が密に茂り、代々受け継がれてきた墓と喪の歴史を連想させます。岩壁に穿たれた墓所や窓も、葬送の主題を強めています。

船尾を操る漕ぎ手

小さな手こぎの船を後尾から操るこぎ手は、ギリシア神話で死者の魂を冥府へ運ぶカローンになぞらえられています

5点描かれた同じ主題

ベックリンはこの謎めいた主題を1880年から1886年の間に5回描き、作品ごとに細部を変えています。最初はパトロンのアレクサンダー・ギュンターのために1880年5月に完成させましたが、絵はそのまま渡されませんでした。同じ年、未亡人マリー・ベルナのために一回り小さな版を追加で描き、彼女の亡き夫を偲ぶ棺と人物像を描き加えています。

政治家と芸術家に愛された絵

フロイトやレーニン、クレマンソー、ラフマニノフ、ヘッセらがこの絵を好んで飾っていたと伝えられています。ラフマニノフは同名の交響詩を作曲しました。テーマの明瞭さから一般にも人気が広がり、複製画やはがきのデザインとしても好まれています。一方でこの絵の持つペシミズムと死のイメージは、ヒトラーとナチスの理想とも結びつくことになりました。

モデルをめぐる諸説

岩の小島のモデルとしては、ケルキラ島近くのポンディコニシや、ティレニア海のポンツァ島、モンテネグロの聖ジョージ島などが挙げられています。ベックリン自身はイスキア島のアラゴネーゼ城を弟子に語ったと伝えられていますが、これらの地の多くは画家が実際に訪れる前のものでした。

よくある疑問

『死の島』はどこにある?

ここで紹介している1886年の版は、ドイツのライプツィヒ造形美術館が所蔵しています。ベックリンは同じ主題を1880年から1886年にかけて5点描いており、それぞれ別の美術館に収蔵されています。

『死の島』にはいくつのバージョンがある?

5点あります。最初の1880年のバーゼル版から始まり、1886年のライプツィヒ版まで5点が描かれました。1884年に描かれた1点は第二次世界大戦の爆撃で焼失し、白黒写真しか残っていません。

描かれているのは誰?

船に乗る白い衣の人物は、亡くなったばかりの人の魂とされています。船をこぐ人物はギリシア神話の冥府の渡し守カローンになぞらえられ、島は死者の眠る墓所と解釈されています。

ヒトラーが所有していたのは本当?

本当です。ただしヒトラーが手に入れたのは1883年に描かれたベルリン版(旧国立美術館所蔵)で、はじめは別荘ベルクホーフに、のちにベルリンの総統官邸に飾られていました。

基本データ

制作年
1886年
種別
絵画
技法・素材
油彩、板
寸法
80 × 150 cm
様式
象徴主義
所蔵
ライプツィヒ造形美術館(ライプツィヒ)

出典・画像について

画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!