
この作品のデータ
| 作者 | 俵屋宗達 | 同じ作家の作品 2点 |
|---|---|---|
| 制作年 | 1631年(寛永8年) | |
| 時代 | 日本・近世まで | 同じ時代の作品 42点 |
| 様式 | — | |
| 種別 | 絵画 | |
| 技法・素材 | 紙本金地着色、六曲一双屏風 | |
| 所蔵 | 静嘉堂文庫美術館東京 | |
| 有名度 | ★★★ | |
| 展覧会 | 特別展 源氏物語 王朝のかがやき京都国立博物館 平成知新館(京都府)2026年10月6日(火)〜11月29日(日) | 開催中 |
『源氏物語』の名場面を描いた屏風なのに、光源氏の姿はどこにも描かれていません。宗達は牛車と舟を置くことで、そこに主人公がいると伝えました。寛永8年(1631)に描かれたとわかる、年代の確かな数少ない宗達作品です。国宝に指定されています。
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見どころ
主のいない牛車
画面右に、牛に引かれた豪華な牛車と、それを囲む従者たちが描かれています。乗っている人物の姿は見えません。宗達は牛車だけを描いて、主人公の存在をほのめかしました。
金地にうねる緑の山
画面の上半分を、ゆるやかな曲線の緑の山が横切っています。金地に緑と白を主な色とする配色と、直線と曲線を使い分けた大胆な構成は、所蔵館が本作の魅力として挙げる点です。
画面中ほどの柵と門
画面の中ほどに、竹の柵と門が斜めに立っています。メトロポリタン美術館は、この「関屋」と対の「澪標」が、ともに旅や参詣にかかわる門を舞台にしていると説明しています。
醍醐寺から岩﨑家へ
屏風には「法橋宗達」の落款があります。もとは京都の醍醐寺に伝わっていました。所蔵館によれば、明治29年(1896)頃に醍醐寺から岩﨑家の所有に移りました。
岩﨑家は三菱の2代目社長・岩﨑彌之助と、その子で4代目社長の小彌太の家です。2人が明治から昭和初めにかけて集めた品が、いまの静嘉堂文庫美術館の所蔵品のもとになっています。
住吉の浜を描いたもう1隻
この画像に写っているのは「関屋」の隻です。対になる「澪標」の隻には、住吉大社に参詣する光源氏の牛車と一行が中央に、明石の君が乗る舟が右に描かれています。左には住吉大社の目印である反橋と鳥居が置かれています。
「澪標」の物語では、明石の君が源氏の行列に出会い、身分の違いを感じて参詣をあきらめ、浜を去ります。2人がすれ違う様子を、宗達は人物ではなく牛車と舟の配置で表しました。
同じ宗達の屏風には『風神雷神図屏風』があります。『源氏物語』を描いた古い作品には、平安時代の『源氏物語絵巻』があります。
よくある疑問
- 『源氏物語関屋澪標図屏風』はどこにある?
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東京の静嘉堂文庫美術館が所蔵しています。国宝に指定されており、所蔵館の展覧会で公開されます。
- 何の場面が描かれている?
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『源氏物語』第14帖「澪標」と第16帖「関屋」の場面を、左右1隻ずつに描いています。どちらも、光源氏がかつての恋人と偶然に出会う場面です。メトロポリタン美術館は、どちらの場面も門が舞台であることが、組み合わされた理由かもしれないと述べています。
- 左右どちらに置くのが正しい?
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物語の順番では、後の帖である「関屋」が右に来ます。ところが図版や展覧会では、「関屋」を左に置くことが多くありました。2つの屏風は鏡に映したような似た構図になっていて、左右を入れ替えても成り立つことが研究で指摘されています。
- なぜ制作年がわかっている?
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屏風はもと京都の醍醐寺に伝わり、醍醐寺に関わる資料が見つかったことで、制作年と注文主がほぼ特定されました。宗達は経歴がよくわかっていない画家です。メトロポリタン美術館は、本作を画家の生涯を知る手がかりになる重要な作品と位置づけています。
