風神雷神図屏風

俵屋宗達《風神雷神図屏風》17世紀前半(制作年不詳)
俵屋宗達Tawara Sōtatsu
風神雷神図屏風The Gods of Wind and Thunder
17世紀前半(制作年不詳)
紙本金地着色、二曲一双屏風、各 154.5 × 169.8 cm
建仁寺(京都)。京都国立博物館に寄託
何がすごいのか

落款も印章もないのに、研究者の誰もが宗達の作と認める屏風。ふつう憤怒の顔で描かれる風神と雷神が、ここでは大笑いしています。二神を左右の隅ぎりぎりに置き、中央を金地の空白にした構図は、当時の日本画に類例がありません。

見どころ

笑う雷神

右隻の雷神は緑ではなく白い体で、頭に鉢巻のようなものを巻いています。当時のかぶき者の風俗を取り入れたのではないかという指摘があります。通常は赤で描かれる雷神を白にしたのは、金地に映える色を選んだためと考えられています。

折ると真円になる太鼓

雷神の背後に連なる太鼓は、平らに広げると歪んで見えます。屏風を折った状態で見たときに真円になるよう、わざと歪めて描かれています

銀泥と墨の雲

雲は墨に銀泥を混ぜた「たらしこみ」で描かれ、もやもやとした質感が出ています。金箔を押した後に雲だけを上から描き足しており、二神の部分には箔の跡がありません。

遅咲きの絵師の晩年

俵屋宗達の生没年はわかっていません。美術史に最初に現れるのは1602年、平家納経の修復作業で、このとき40歳近かったとみられます。長く「俵屋」という工房を運営し、絵師に与えられる僧位である法橋を得た元和年間以降、個人としての活動に移り、金碧の屏風や水墨画の大作を手がけました。『風神雷神図屏風』はこの法橋時代の作風と一致します。

絵巻の神を借りて、表情を変えた

風神と雷神は千手観音の眷属で、自然現象を神に見立てて五穀豊穣を祈るものです。姿は鎌倉時代の『北野天神縁起絵巻』の雷神や、三十三間堂の風神雷神像などから借りたとみられますが、風神は絵巻の風神を継がず、雷神の持ち物を風袋に変えて作り上げています。憤怒が一般的な二神を哄笑の表情にしたのも宗達の変更です。

三方向に走る線

流れるような天衣、まっすぐ立つ二神、傾いて這うように湧く雲。それぞれ異なる方向を向いていることで、何も描かれていない金地の上に三次元の空間軸が生まれています。雲の傾きは左右で揃えられておらず、風神のほうがわずかに近く見えます。二枚を並べたときに屏風の中に奥行きが出るよう設計されています。

よくある疑問

『風神雷神図屏風』はどこで見られる?

京都・建仁寺の所有で、京都国立博物館に寄託されています。建仁寺で常時見られるのは高精細の複製です。原本は展覧会での公開時に見られます。1952年に国宝に指定されました。

本当に宗達が描いた?

落款も印章も残っていませんが、緊張感のある構図、たらしこみの筆技、のびやかな線などから、宗達以外の画家は考えられないという見解で研究者は一致しています。制作年もわかっておらず、法橋の位を得た晩年の作とみられています。

光琳の『風神雷神図』とはどう違う?

尾形光琳が晩年に宗達の作品を模写したのが光琳版(重要文化財)で、さらに酒井抱一や鈴木其一が光琳版を模写しています。宗達が二神を画面の上端ぎりぎりに置いて太鼓や風袋の一部を画面外に切ったのに対し、光琳以降は位置を下げて画面内に収め、色も鮮やかに変えています。

なぜ真ん中が空いている?

二神を左右の上方に置き、中央に大きな三角の空間を開けて、モチーフと空間が対角線上に並ぶ構図です。中国の南画の影響を見る説と、もともと扇に描く予定だった構図を転用したため中央が空いたとする説があります。

基本データ

作者
俵屋宗達Tawara Sōtatsu
制作年
17世紀前半(制作年不詳)
種別
絵画
技法・素材
紙本金地着色、二曲一双屏風
寸法
各 154.5 × 169.8 cm
所蔵
建仁寺(京都)。京都国立博物館に寄託

出典・画像について

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!