
この作品のデータ
| 作者 | 俵屋宗達 | 同じ作家の作品 2点 |
|---|---|---|
| 制作年 | 17世紀前半(制作年不詳) | |
| 時代 | 日本・近世まで | 同じ時代の作品 42点 |
| 様式 | 琳派 | 同じ様式の作品 4点 |
| 種別 | 絵画 | |
| 技法・素材 | 紙本金地着色、二曲一双屏風 | |
| 所蔵 | 建仁寺京都 | |
| 有名度 | ★★★名画クイズの無料の54点に収録 |
落款も印章もないのに、研究者の誰もが宗達の作と認める屏風。ふつう憤怒の顔で描かれる風神と雷神が、ここでは大笑いしています。二神を左右の隅ぎりぎりに置き、中央を金地の空白にした構図は、当時の日本画に類例がありません。
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見どころ
笑う雷神
左隻の雷神は白い体で描かれています。右隻の風神は緑です。雷神は赤く描かれることが多く、白にしたのは金地に映える色を選んだためとも考えられています。
輪につながった太鼓
雷神の背後には、輪につながった太鼓が描かれています。輪は画面の上端からはみ出し、雷神が枠に収まりきらない勢いで飛び込んできたように見えます。
銀泥と墨の雲
神の足元の雲は、墨と銀泥で描かれています。乾く前に色を垂らしてにじませる「たらしこみ」の技法で、もやもやとした質感が出ています。
遅咲きの絵師の晩年
俵屋宗達の生没年はわかっていません。美術史に最初に現れるのは1602年、平家納経の修復作業で、このとき40歳近かったとみられます。長く「俵屋」という工房を運営し、絵師に与えられる僧位である法橋を得た元和年間以降、個人としての活動に移り、金碧の屏風や水墨画の大作を手がけました。『風神雷神図屏風』はこの法橋時代の作風と一致します。
絵巻の神を借りて、表情を変えた
風神と雷神は千手観音の眷属で、自然現象を神に見立てて五穀豊穣を祈るものです。姿は鎌倉時代の『北野天神縁起絵巻』の雷神や、三十三間堂の風神雷神像などから借りたとみられますが、風神は絵巻の風神を継がず、雷神の持ち物を風袋に変えて作り上げています。憤怒が一般的な二神を哄笑の表情にしたのも宗達の変更です。
三方向に走る線
流れるような天衣、まっすぐ立つ二神、傾いて這うように湧く雲。それぞれ異なる方向を向いていることで、何も描かれていない金地の上に三次元の空間軸が生まれています。雲の傾きは左右で揃えられておらず、風神のほうがわずかに近く見えます。二枚を並べたときに屏風の中に奥行きが出るよう設計されています。
よくある疑問
- 『風神雷神図屏風』はどこで見られる?
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京都・建仁寺の所有で、京都国立博物館に寄託されています。建仁寺で常時見られるのは高精細の複製です。原本は展覧会での公開時に見られます。1952年に国宝に指定されました。
- 本当に宗達が描いた?
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落款も印章も残っていませんが、緊張感のある構図、たらしこみの筆技、のびやかな線などから、宗達以外の画家は考えられないという見解で研究者は一致しています。制作年もわかっておらず、法橋の位を得た晩年の作とみられています。
- 光琳の『風神雷神図』とはどう違う?
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尾形光琳が晩年に宗達の作品を模写したのが光琳版(重要文化財)で、さらに酒井抱一や鈴木其一が光琳版を模写しています。宗達が二神を画面の上端ぎりぎりに置いて太鼓や風袋の一部を画面外に切ったのに対し、光琳以降は位置を下げて画面内に収め、色も鮮やかに変えています。
- なぜ真ん中が空いている?
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二神を左右の上方に置き、中央に大きな三角の空間を開けて、モチーフと空間が対角線上に並ぶ構図です。中国の南画の影響を見る説と、もともと扇に描く予定だった構図を転用したため中央が空いたとする説があります。
俵屋宗達のほかの作品
出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル
