
「世界でもっとも知られ、もっとも見られ、もっとも書かれ、もっともパロディにされた」肖像画。レオナルドは完成させないまま最後まで手元に置き、フランスへ持ち込んで加筆を続けました。1911年に盗まれ、ピカソが取り調べを受けたことで、名声はさらに上がりました。
見どころ
輪郭をぼかした口元
笑っているようにも、そうでないようにも見える口元は、輪郭線を引かずに明暗を溶かし合わせる描き方から生まれています。見る位置や視線の向きで表情が変わるのはこのためです。
組んだ手
画面の下で軽く重ねた両手は、上半身のみの肖像画としては当時めずらしい大きな画面構成の一部です。この手の落ち着きが、顔の表情の曖昧さを支えています。
左右で高さの違う地平線
背景の風景は、向かって左と右で地平線の高さが揃っていません。だまし絵めいた雰囲気と評される理由のひとつで、顔の左右どちらを見るかで印象が変わります。
完成しなかった絵
レオナルドがフィレンツェで制作を始めたのは1503年か1504年です。同時代のヴァザーリは「4年を費やしたが未完に終わった」と記しています。1516年にフランス王フランソワ1世に招かれてフランスへ移る際もこの絵を持参し、その後も加筆を続けたと考えられています。
1519年にレオナルドが亡くなると弟子のサライが相続し、フランソワ1世が4,000エキュで買い上げました。100年以上フォンテーヌブロー宮殿にあり、ルイ14世がヴェルサイユへ移し、フランス革命後にルーヴル美術館の所蔵となりました。
依頼の理由
依頼主とされるフランチェスコ・デル・ジョコンドは、新居への引っ越しと次男の出産祝いとして肖像画を注文したと考えられています。2004年の赤外線分析でも、制作開始は次男が生まれた1503年頃と推定されました。
よくある疑問
- 『モナ・リザ』のモデルは誰?
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定説はフィレンツェの絹商人フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻リザです。16世紀のヴァザーリの記述に加え、2005年に発見された1503年10月の書き込みに、レオナルドがリザの肖像を制作中と記されていました。ただしメディチ家の愛人説や弟子サライ説など異説も多く残っています。
- 「モナ・リザ」とはどういう意味?
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イタリア語で「私の貴婦人」を意味する「ma donna」の短縮形「mona」と、モデルの名前「リザ」で「リザ夫人」です。イタリアとフランスでは姓にちなんで「ラ・ジョコンダ」「ラ・ジョコンド」と呼ばれ、これは「幸せな人」との語呂合わせにもなっています。
- 『モナ・リザ』はどこにある?
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パリのルーヴル美術館が常設展示しています。フランス王フランソワ1世が購入して以来フランスの国有財産で、ナポレオンの寝室に飾られていた時期もあります。
- 盗まれたことがあるって本当?
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1911年8月21日にルーヴルから盗まれました。詩人アポリネールが逮捕され、友人のピカソも尋問を受けましたが、どちらも無関係でした。この事件で絵の知名度はさらに上がりました。
基本データ
- 作者
- レオナルド・ダ・ヴィンチLeonardo da Vinci
- 制作年
- 1503〜1506年頃
- 種別
- 絵画
- 技法・素材
- 油彩、ポプラ板
- 寸法
- 77 × 53 cm
- 様式
- イタリア・ルネサンス
- 所蔵
- ルーヴル美術館(パリ)
- 展示室
- ルネサンス
レオナルド・ダ・ヴィンチのほかの作品
《受胎告知》 《岩窟の聖母》 《最後の晩餐》 《白貂を抱く貴婦人》 《ウィトルウィウス的人体図》
出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル