
この作品のデータ
| 作者 | 作者不詳 | 同じ作家の作品 4点 |
|---|---|---|
| 制作年 | 1329年(元徳元年) | |
| 時代 | 日本・近世まで | 同じ時代の作品 42点 |
| 様式 | — | |
| 種別 | 絵画 | |
| 技法・素材 | 絹本著色、掛幅 | |
| 所蔵 | 檀王法林寺京都 | |
| 有名度 | ★★★ | |
| 展覧会 | 特別展「仏画の力―東北 珠玉の仏教絵画―」仙台市博物館(宮城県)2026年9月18日(金)〜11月8日(日) | 開催中 |
熊野の神を描いた絵なのに、画面の中央にいるのは雲から上半身を現した阿弥陀如来です。奥州名取郡の老女が、熊野権現のお告げを受けて那智山の浜宮で阿弥陀如来を拝んだという話を絵にしています。賛から元徳元年(1329)の作と考えられる、異色の垂迹画です。
絵を見て作者を当てる練習は、名画クイズ(iPhone アプリ)でできます。
見どころ
雲から現れる如来
大きな円光を背にした阿弥陀如来が、下半身を湧き上がる雲に隠して姿を見せています。如来の描き方は、14世紀の阿弥陀来迎図の定まった形に沿っていると指摘されています。
画面上部の賛
画面の上部には、円覚寺の住持を務めた禅僧・南山士雲の賛が書かれています。この賛が、制作年を考える手がかりになっています。
下に広がる山と木々
雲の下には、なだらかな山と木々が描かれています。画中に参詣者や鳥居、松などを描き込む構成には、春日社を描いた春日曼荼羅との関係が指摘されています。
熊野信仰が生んだ垂迹画
本図は、熊野三山の信仰が広く行きわたるのにともなって作られた異色の垂迹画の一例とされています。
本図に描かれた説話は、奥州名取郡の老女が主人公です。熊野権現のお告げに従い、那智山の浜宮で本地の阿弥陀如来を拝んだという話を、山越阿弥陀図の形を借りて描いています。
禅僧の賛と江戸時代の縁起
制作年は、南山士雲の賛から推定されています。文化庁の解説は、士雲が鎌倉にいた元徳元年(1329)の作と考えています。士雲は臨済宗聖一派の僧です。阿弥陀如来の描き方は同じ時期の来迎図と共通しますが、禅僧の賛や後の由緒書を伴う点で、特殊な背景をもつ作品と指摘されています。
宝暦10年(1760)には、由緒書も奉納されました。こうした史料が残っている一方で、本図が作られた経緯には、まだわからない点が多く残されています。
よくある疑問
- 『熊野権現影向図』はどこにある?
-
京都の檀王法林寺が所蔵しています。2014年の研究論文には、寄託先の京都国立博物館で調査を行ったと記されています。1976年6月5日に国の重要文化財に指定されました。宝暦10年(1760)に書かれた縁起1巻も、附として一緒に指定されています。
- なぜ熊野の神が阿弥陀如来の姿なの?
-
文化庁の解説では、阿弥陀如来は熊野権現の「御本地」、つまり本来の姿とされています。名取の老女は、熊野権現のお告げに従ってその本地を拝んだと伝えられます。研究では、14世紀の神仏習合の考え方を示す作品と位置づけられています。
- 何をもとにした構図?
-
全体の構図は、山の向こうから阿弥陀如来が姿を現す「山越阿弥陀図」に着想を得たものとされています。そこに名取の老女の説話を組み合わせた独創的な画面構成が、文化庁の解説でも注目されています。
作者不詳のほかの作品
《信貴山縁起》 《蒙古襲来絵詞》 《阿弥陀二十五菩薩来迎図》
出典・画像について
- 文化遺産オンライン 絹本著色熊野権現影向図(檀王法林寺)
- 国指定文化財等データベース 絹本著色熊野権現影向図
- 若鍋翠 学位論文要旨「阿弥陀来迎図と檀王法林寺所蔵「熊野権現影向図」の図様と描法の関係について」(広島市立大学、2014年)
- Wikidata Q112791079
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル
