
この作品のデータ
| 作者 | 高橋由一 | 同じ作家の作品 2点 |
|---|---|---|
| 制作年 | 1872年(明治5年) | |
| 時代 | 日本・近代 | 同じ時代の作品 19点 |
| 様式 | — | |
| 種別 | 絵画 | |
| 技法・素材 | 油彩、カンヴァス(麻布) | |
| 所蔵 | 東京藝術大学大学美術館東京 | 同じ所蔵の作品 5点 |
| 有名度 | ★★★ | |
| 展覧会 | NHK日曜美術館50年展大阪中之島美術館(大阪府)2026年10月10日(土)〜12月20日(日) | 開催中 |
描かれた花魁本人がこの絵を見て、「わちきはこんな顔ではありんせん」と泣いて怒ったと伝えられています。高橋由一は花魁をひとつの「静物」として見つめ、浮世絵の美人画とはかけ離れた硬い表情をそのまま描きました。モデルは新吉原の稲本楼にいた四代目小稲です。
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見どころ
後光のような髪飾り
頭には鼈甲の琴柱を左右前後に3本ずつ、松葉簪と赤玉簪を2本ずつ、横差しを1本挿し、櫛を3枚並べています。仏像の後光のように広がる飾り方は、京阪とは違う江戸の遊女の特色でした。
白粉焼けした頬
表情は硬く、疲れたように虚空をにらんでいます。白粉焼けした頬には、華やかな花魁像とは裏腹な現実の暮らしがにじむと評されています。
瑞雲と鯉の打掛
赤と黒の打掛には、金糸銀糸で瑞雲や鯉が縫い取られています。季節感を取り込んだ総模様の豪華な一着だったことがうかがえます。
断られ続けたモデル探し
1872年4月28日の『東京日日新聞』は、この絵の制作の経緯を一面で伝えています。油絵のモデルを頼まれた花魁たちは、錦絵に描かれたいと望んでみな断りました。承諾したのは稲本楼の小稲ひとりでした。小稲は下げ髪に結い、簪をたくさん挿し、豪華な打掛をまとって由一の前に座りました。
小稲には、兵庫下げ髪の形を残せることや、稲本楼の話題作りになるという思惑があったと考えられています。描かれた髪型は「お下げ」と呼ばれる兵庫下げ髪の一種で、明治末期の吉原ではほとんど見られなくなったものです。この年の10月に娼妓解放令が出ると、小稲は吉原を離れ、神田で「梅月」という食堂を営んだと伝えられています。
浮世絵に近い色づかい
由一は作品の価値を下げるとしてサインを嫌い、本作にも署名や落款がありません。代表作の『鮭』にもサインはなく、本作は『鮭』と並ぶ由一の代表作とされています。
美術史家の高階秀爾は、本作の平面的で装飾的な色の組み合わせが、ルーベンスやドラクロワではなく歌川国芳や歌川国貞に近いと指摘しました。日本特有の色彩感覚が、油絵という西洋の技法で表されているという見方です。キャンバスは麻布で、イギリスの画材会社ウィンザー・アンド・ニュートン社の製品ではないかと推定されています。
回顧展から始まった再評価
由一の個展は1899年以降途絶えていましたが、美術史家の土方定一が1964年の回顧展や1971年の「高橋由一とその時代展」を実現させました。由一の作品が本格的に研究されはじめたのはそれ以降です。こうした活動は、『花魁』や『鮭』が重要文化財に指定される大きな要因になったとされています。
美術史家の松浦あき子は、本作を吉原の夢の舞台が幕を閉じる直前の姿を描きとどめた一つの時代の証言と評しています。
よくある疑問
- 『花魁』はどこにある?
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東京都台東区の東京藝術大学大学美術館の所蔵です。同館の目録には『美人(花魁)』という名前で登録されています。1972年に国の重要文化財に指定されました。
- モデルは誰?
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新吉原の大店、稲本楼の花魁だった四代目小稲です。本名は亀井お定とされ、亀井とみとする説もあります。7歳で質に売られて新吉原に来たと伝えられ、1866年に小稲の名を継いで、花魁の最高位「呼出し昼三」として人気を集めました。
- なぜ花魁を描いたの?
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花魁の装いが変わり、兵庫下げ髪がすたれていくのを惜しんだある人物が、油絵に残してほしいと由一に頼んだためとされています。依頼した人物は、この経緯を新聞に書いた戯作者の条野採菊や、実業家の岸田吟香ではないかといわれています。
- 本当に1872年の作品?
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1872年4月28日の『東京日日新聞』の記事など有力な資料が残っており、1872年が定説です。ただ、師のフォンタネージに出会う前にしては完成度が高すぎるとして、土方定一は1877年ごろ、ほかに1876〜1882年ごろとする説も出されました。高階秀爾や芳賀徹らは1872年説を支持しています。
高橋由一のほかの作品
出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル
