南瓜を持てる女

岸田劉生《南瓜を持てる女》1914年(大正3年)
岸田劉生Ryūsei Kishida
南瓜を持てる女Woman with a Pumpkin
1914年(大正3年)
油彩
アーティゾン美術館(東京)
何がすごいのか

劉生の初期作品はセザンヌの影響が濃い後期印象派風でしたが、1913年頃からデューラーに学んだ写実的な画風へと移っていきます。この絵が描かれた1914年は、その転換のただ中にありました。同じ年、娘の麗子が誕生しています。

見どころ

セザンヌからデューラーへ

劉生の初期の作品は後期印象派、特にセザンヌの影響が強いものでしたが、1912年頃からヨーロッパのルネサンスやバロックの巨匠、なかでもデューラーの影響が顕著な写実的作風へ移っていきました。この絵はその過渡期にあたります。

画壇デビューの2年後

劉生は1912年、高村光太郎や萬鉄五郎らとヒュウザン会を結成し、第1回展に14点を出品して本格的に画壇デビューを果たしました。翌1913年には小林蓁と結婚しています。

麗子誕生の年

1914年、劉生に娘の麗子が誕生しました。1918年以降、麗子をモデルにした「麗子像」の連作を数多く手がけるようになりますが、この絵はそれより前、麗子が生まれたばかりの年に描かれています。

白樺派との出会いから画壇デビューへ

岸田劉生は1891年、東京・銀座で新聞記者・実業家の岸田吟香の四男として生まれました。白馬会葵橋洋画研究所で黒田清輝に師事したのち、1911年に雑誌『白樺』主催の美術展をきっかけにバーナード・リーチや柳宗悦、武者小路実篤ら白樺周辺の文化人と知り合います。1912年、高村光太郎・萬鉄五郎・斎藤与里らとヒュウザン会を結成し、第1回展への14点の出品が画壇への本格的なデビューとなりました。

転換期の1914年

1913年7月、劉生は日本画を学んでいた小林蓁と結婚します。ヒュウザン会展は1913年の第2回でフュウザン会と改称して終了しますが、劉生の画風はちょうどこの頃、後期印象派から写実的な作風へと移り変わっていきました。1914年に娘の麗子が誕生し、1918年以降は彼女をモデルにした「麗子像」の連作で広く知られるようになります。

よくある疑問

『南瓜を持てる女』はどこにある?

東京のアーティゾン美術館が所蔵しています。

岸田劉生はどんな画家?

大正から昭和初期に活動した洋画家です。白馬会葵橋洋画研究所で黒田清輝に師事したのち、1912年にヒュウザン会を結成して画壇にデビューしました。1929年、38歳で亡くなっています。

「麗子像」とは違う絵?

はい、別の系統の作品です。「麗子像」は劉生の娘・麗子をモデルにした連作で、1918年以降に多く描かれました。この絵はそれより前、麗子が誕生した1914年の作品です。

なぜ写実的な画風に変わった?

1912年から1913年頃、劉生の関心はセザンヌら後期印象派から、ヨーロッパのルネサンスやバロックの巨匠、特にデューラーへと移りました。この絵が描かれた1914年は、その写実的な作風への転換期にあたります。

基本データ

作者
岸田劉生Ryūsei Kishida
制作年
1914年(大正3年)
種別
絵画
技法・素材
油彩
所蔵
アーティゾン美術館(東京)

岸田劉生のほかの作品

《麗子坐像》

出典・画像について

画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル

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