
「裸体美人」は、萬鉄五郎が東京美術学校の卒業制作として提出した作品です。当時の日本洋画界は黒田清輝らのアカデミックな画風が主流でしたが、萬はいち早くフォーヴィスムに共鳴し、その前衛絵画を日本に導入した先駆者と評されています。
見どころ
卒業制作として提出
萬は1912年に東京美術学校西洋画科を卒業し、卒業制作としてこの作品を提出しました。重要文化財に指定されている、萬の代表作のひとつです。
後期印象派とフォーヴィスムの影響
この頃の萬の作品には後期印象派やフォーヴィスムの影響が強く見られるとされています。特にファン・ゴッホやアンリ・マティスらの影響が顕著であったと伝えられています。
フュウザン会への参加
同じ1912年、萬は岸田劉生や高村光太郎らが結成したフュウザン会に参加し、第1回展にも出品しています。日本に前衛絵画を導入した先駆者として、萬の功績は大きいとされています。
岩手から東京美術学校へ
萬鉄五郎は1885年、岩手県和賀郡東和町(現在の花巻市)の商家に生まれました。1907年に東京美術学校西洋画科に入学し、1912年の卒業制作として「裸体美人」を提出しています。在学中から水彩画家の大下藤次郎に作品を送って批評を受けるなど、早くから絵に取り組んでいました。
前衛絵画の先駆者として
卒業と同じ年、萬は岸田劉生や高村光太郎らが結成したフュウザン会に参加し、日本に紹介されつつあったフォーヴィスムにいち早く共鳴しました。その後1914年からは土沢に帰郷して制作に没頭し、フォーヴィスム的な色彩は影をひそめて茶褐色を主とした作品に移っていきます。1922年には春陽会の設立にも参加しましたが、1927年、結核のため神奈川県で亡くなりました。
よくある疑問
- 『裸体美人』はどこにある?
-
東京国立近代美術館の所蔵です。重要文化財に指定されています。
- 萬鉄五郎とはどんな画家?
-
岩手県出身、大正から昭和初期に活動した洋画家です。東京美術学校で学び、日本にフォーヴィスムをいち早く導入した先駆者とされています。晩年は日本画や南画の研究にも取り組みました。
- なぜフォーヴィスムに影響を受けた?
-
萬は在学中、日本に紹介されつつあったポスト印象派やフォーヴィスムの絵画にいち早く共鳴したと伝えられています。当時の日本洋画界は黒田清輝らのアカデミックな画風が支配的であり、萬はそこに前衛絵画を持ち込んだ先駆者と評されています。
- 萬鉄五郎の代表作はほかにある?
-
『もたれて立つ人』(東京国立近代美術館蔵)、『赤い目の自画像』『雲のある自画像』(ともに1912〜13年、岩手県立美術館・岩手県立博物館蔵)などが代表作として知られています。
基本データ
出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル