
「わだつみのいろこの宮」は、青木繁が『古事記』の神話に取材した代表作のひとつです。この作品は完成作のための習作(下絵)にあたり、完成作は重要文化財としてアーティゾン美術館が所蔵しています。青木は28歳で早世し、生涯に残した作品は多くありません。
見どころ
完成作のための習作
同じ主題の完成作「わだつみのいろこの宮」(1907年)は重要文化財に指定され、アーティゾン美術館が所蔵しています。この作品はその完成作に向けた習作にあたります。
『古事記』を愛読した画家
青木は『古事記』を愛読しており、その作品には古代神話をモチーフにしたものが多いことで知られています。題材、画風ともにラファエル前派など19世紀イギリス絵画の影響がみられるとされています。
『海の幸』の後、下降線をたどった時期
青木は1904年に代表作『海の幸』を描いた頃が最盛期で、以後は展覧会への入選も叶わず下降線をたどりました。この作品が描かれた1907年は、父の危篤・死去の知らせを受けた年でもあります。
布良での最盛期とその後
青木繁は1904年、東京美術学校を卒業したばかりの頃、坂本繁二郎や恋人の福田たねらと千葉県南部の布良に滞在し、代表作『海の幸』を描きました。この時期が青木の最盛期でしたが、以後は展覧会への入選も叶わず下降線をたどっていきます。1907年8月、父・廉吾の危篤の知らせを聞いた青木は単身帰郷しましたが、まもなく父は亡くなりました。
放浪の末の早世
家族を支える才を持たなかった青木は、父の死後、家族と衝突した末に1908年、天草や佐賀など九州各地を放浪する生活に入ります。この間も制作は続けましたが、持病の肺結核が悪化し、画家としてのピークは過ぎていました。1911年3月、福岡市の病院で28歳で死去しています。死後、坂本繁二郎らが遺作展の開催に奔走し、翌年には東京と福岡で遺作展が開かれました。
よくある疑問
- 『わだつみのいろこの宮』はどこにある?
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この習作は栃木県立美術館の所蔵です。同じ主題の完成作は重要文化財に指定され、アーティゾン美術館が所蔵しています。
- わだつみのいろこの宮とは何?
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「わだつみ」は海神を、「いろこの宮」はうろこ状の飾りを持つ宮殿を指し、『古事記』に由来する神話的な題材です。青木は同じ主題で複数の作品を残しており、この作品は完成作に向けた習作にあたります。
- 青木繁とはどんな画家?
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明治期のロマン主義を代表する洋画家で、代表作『海の幸』はその記念碑的作品と評されています。若くして日本美術史に残る作品を残しましたが、名声を得ることなく28歳で早世しました。
- なぜ習作が別々に残っている?
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青木は短命だったこともあり、残された作品の数は多くなく、代表作『海の幸』を含め未完成の作品も少なくありません。この作品のように、完成作とは別に習作が伝わっている例があります。
基本データ
青木繁のほかの作品
出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル