
青木繁が東京美術学校を卒業したばかりの夏、千葉県南部の漁村に滞在して描いたのが『海の幸』です。重要文化財に指定されているこの絵の中で、ただ1人こちらを見つめる人物のモデルは、青木の恋人だった福田たねだとされています。
見どころ
鑑賞者と目が合う人物
画面には複数の人物が並んで描かれ、その中でただ1人だけ鑑賞者のほうを見ています。このモデルは青木の恋人だった福田たねだとされています。
布良で過ごした夏
1904年夏、東京美術学校を卒業したばかりの青木は、坂本繁二郎やたねらとともに千葉県南部の布良に滞在し、この地で『海の幸』を描きました。
画業の頂点だった1枚
『海の幸』が描かれたこの時期が、青木の画業の最盛期だったとされています。以後は展覧会への入選も叶わず、下降線をたどっていきました。
早熟の天才の絶頂期
青木繁は1882年、福岡県久留米市の生まれです。16歳で上京して画塾「不同舎」に入り、後に東京美術学校西洋画科選科で黒田清輝の指導を受けました。1903年には白馬会展で受賞するなど頭角を現し、1904年夏、美術学校を卒業したばかりの青木は、坂本繁二郎や恋人の福田たねらと千葉県南部の布良に滞在して『海の幸』を描きました。この時期が青木の画業の最盛期だったとされています。
放浪の末の早世
『海の幸』の後、青木は展覧会への入選が叶わなくなっていきます。1907年に父が亡くなると、家族を支えられないまま故郷を離れ、九州各地を放浪する生活に入りました。持病の肺結核が悪化し、1911年、福岡市の病院で28歳のまま亡くなっています。死後、親友の坂本繁二郎の尽力で遺作展や画集の刊行が実現し、『海の幸』は青木の代表作として今に伝えられています。
よくある疑問
- 『海の幸』はどこにある?
-
東京のアーティゾン美術館が所蔵しています。重要文化財に指定されている、青木繁の代表作です。
- 誰が描いた?
-
洋画家の青木繁が1904年に描きました。この年が青木の画業の最盛期で、以後は展覧会に入選できないまま、28歳で亡くなりました。
- モデルは誰?
-
画中でただ1人、鑑賞者と視線を合わせている人物のモデルは、青木の恋人だった福田たねだとされています。他の人物のモデルについては明らかにされていません。
- 布良とはどこ?
-
布良(めら)は千葉県南部にある漁村です。1904年の夏、青木はここに滞在して『海の幸』を制作しました。
基本データ
青木繁のほかの作品
出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル