
ドガが描いたバレエの舞台裏は、当時のオペラ座の年会員だけが立ち入れる特権的な場所でした。銀行家の息子だったドガはオペラ座の定期会員を続け、楽屋や稽古場に自由に出入りしてこの光景を見ていました。
見どころ
定期会員だけの特権
座席を年単位で購入するオペラ座の定期会員は、楽屋や稽古場に自由に立ち入ることが許されていました。この特権は20世紀半ばに廃止されています。父の逝去後に経済的に苦しくなってからも、ドガは会員を続けていたと考えられています。
ロマンティック・バレエの時代
ドガが通った時代のフランスには、クラシック・バレエやモダン・バレエはまだ紹介されていませんでした。ドガの作品に描かれたバレエの光景はすべてロマンティック・バレエにあたります。
「小さなネズミ」と呼ばれた踊り子
当時、オペラ座の踊り子たちは「プティ・ラット(小さなネズミ)」と呼ばれていました。ドガは、彼女らの舞台裏をありのままに描いたと伝えられています。
現代生活の古典画家
ドガは通常、印象派の画家の一員とみなされています。1874年の第1回印象派展以来、たびたび印象派展に出品していますが、光と影の変化をとらえようとしたモネらとは異なり、その制作の基盤はルネサンスの巨匠や信奉していたアングルの画風にありました。古典的な手法で現代の都会生活を描き出すことから、ドガは自らを「現代生活の古典画家」と位置づけています。
舞台裏という主題の始まり
ドガの作品には、バレエの楽屋や練習風景、舞台袖といった一般人が立ち入れない場所を描いたものが多くあります。この作品が制作された1874年は、ドガが本格的にバレエを主題とし始めた時期にあたり、『ダンス教室(バレエ教室)』などの作品もこの前後に手がけられています。
よくある疑問
- 『舞台のバレエ稽古』はどこにある?
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ニューヨークのメトロポリタン美術館が所蔵しています。
- なぜドガはバレエの絵を多く描いた?
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銀行家の息子で裕福な家庭に育ったドガはバレエを好み、オペラ座の定期会員でした。年会員は楽屋や稽古場に自由に立ち入れる特権を持っており、そこで見た光景の多くを作品にしています。
- 1874年はドガにとってどんな年?
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第1回印象派展が開かれた年です。ドガはこの年以来、全8回の印象派展のうち第7回を除くすべてに出品しました。
- ドガは踊り子の何を描いた?
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楽屋や練習風景、舞台袖といった、一般人が出入りできない場所での場面です。彼女たちが一瞬見せた何気ない動作を捉える素描力が高く評価されています。
基本データ
エドガー・ドガのほかの作品
《アブサントを飲む人》 《エトワール》 《出走前》 《14才の少女ダンサー》
出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(CC0)。元ファイル