
この作品のデータ
| 作者 | ポール・セザンヌ | 同じ作家の作品 7点 |
|---|---|---|
| 制作年 | 1902年頃 | |
| 時代 | 印象派以後 | 同じ時代の作品 105点 |
| 様式 | ポスト印象派 | 同じ様式の作品 19点 |
| 種別 | 絵画 | |
| 技法・素材 | 油彩、カンヴァス | |
| 所蔵 | プリンストン大学美術館プリンストン | |
| 有名度 | ★★★名画クイズの無料の54点に収録 |
セザンヌは同じ山を生涯で約80点も描き続けました。きっかけは1878年、列車の窓から見えた山を「美しいモチーフ」と友人に書き送ったことだったといいます。この連作は、のちのキュビスムの出発点になったとも語られています。
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見どころ
岩肌のような幾何学的な稜線
山の稜線は幾何学的な色面に分解されて描かれています。セザンヌは自然の奥にある永続的な構造を描こうとし、目に見える一瞬の表情よりも、そのかたちの内側にある骨格を追い求めました。
塗り残されたカンヴァス
晩年の連作では、カンヴァスの一部があえて塗り残されています。セザンヌは薄めた油彩や水彩を使うことで、より速く、より自由な筆致を得ようとしました。
人の気配のない平原
山のふもとに広がる平原には、農家や木々が点在するだけで人物は描かれていません。セザンヌのこの連作は、人の営みから距離を置いた風景として制作されています。
列車の窓から見つけた山
エクス=マルセイユ鉄道が開通してから半年ほどたった1878年、セザンヌは友人エミール・ゾラへの手紙で、アルク川の谷を渡る列車の窓から見えたサント=ヴィクトワール山を「美しいモチーフ」と書き記しました。
当時39歳だったセザンヌは、この頃から故郷エクス=アン=プロヴァンスでこの山を描く連作を始めています。多くの作品には、アルク川の谷を渡る鉄道橋が画面の中央右寄りに描き込まれています。
死後に高まった評価
セザンヌが個展をパリで開いたのは1895年、画商アンブロワーズ・ヴォラールの後押しによるものでした。当時は大きな注目を集めませんでしたが、若い画家たちに影響を与え、セザンヌは次第に伝説的な評価を得ていきます。
この連作自体は美術史のなかで批評的に取り上げられることが少なかったとされていますが、1980年には英国放送協会のテレビ番組「100の名画」でも紹介されました。
読んだらクイズ
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塗り残されたカンヴァス晩年の連作では、カンヴァスの一部があえて塗り残されています。セザンヌは薄めた油彩や水彩を使うことで、より速く、より自由な筆致を得ようとしました。
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よくある疑問
- 『サント=ヴィクトワール山』はどこにある?
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この絵はプリンストン大学美術館が所蔵しています。セザンヌは同じ山を約80点描いており、ほかの作品はオルセー美術館やメトロポリタン美術館など世界各地の美術館に分かれて所蔵されています。
- なぜ同じ山を何度も描いたの?
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セザンヌは故郷エクス=アン=プロヴァンスの近くにあるこの山を、角度や光、構図を変えながら繰り返し描きました。1902年には山を望む丘に工房を構え、晩年の作品の多くをそこで完成させています。
- 誰が描いた?
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フランスのポスト印象派の画家ポール・セザンヌが、1870年代から1906年に亡くなるまで断続的に描き続けました。
- この連作はキュビスムとどう関係する?
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山を幾何学的な面として捉えた表現が、のちのピカソやブラックのキュビスムに影響を与えたと指摘する研究者がいます。ただしセザンヌを抽象絵画への先駆けと位置づける見方には、異論を唱える研究者もいます。
ポール・セザンヌのほかの作品
《パンと卵のある静物》 《梨のある静物》 《水の反映》 《カード遊びをする人々》 《リンゴとオレンジ》 《大水浴図》
出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル



