われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか

ポール・ゴーギャン《われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか》1897〜1898年
われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのかWhere Do We Come From? What Are We? Where Are We Going?
1897〜1898年
ボストン美術館(ボストン)

この作品のデータ

作者ポール・ゴーギャン同じ作家の作品 5点
制作年1897〜1898年
時代印象派以後同じ時代の作品 105点
様式ポスト印象派同じ様式の作品 19点
種別絵画
所蔵ボストン美術館ボストン同じ所蔵の作品 2点
有名度★★★名画クイズの無料の54点に収録
何がすごいのか

完成させた直後、ゴーギャンは自殺を図りました(未遂に終わっています)。愛娘の死、立ち退き、借金、体調悪化が重なった絶望の中で描かれ、画業の集大成と自ら位置づけた絵です。題名の3つの問いは、少年時代に神学校で教わったキリスト教の教理問答に由来しています。

見どころ

生の始まりを表す右端

画面右端には赤ん坊と3人の女性が描かれ、人生の始まりを表しています。ゴーギャンによれば、絵は右から左へと時間が流れる構成になっています。

壮年期と背後の青い像

画面中央では若い男が果実を摘み取る動作をしており、成年期を表しています。背景の青い像は「超越者」を表していると考えられています。

死を迎え入れる老女

画面左には死を迎え入れる老女が座り、足もとには奇妙な白い鳥が描かれています。ゴーギャンはこの鳥について「言葉がいかに無力かを物語っている」と書き残しています。

印象派を退けた到達点

本作はゴーギャンにとって、ポスト印象派の先駆けとされる作品です。自身の感情を強く追求するあまり、鮮やかな色彩や明確な筆使いといった印象派の手法を退ける結果となりました。20世紀のキュビスムやフォーヴィスムなど、アヴァンギャルドの前兆になったとされています。

少年期に刻まれた3つの問い

ゴーギャンは11歳から16歳まで、オルレアン郊外の神学校に通いました。同校ではオルレアン司教フェリックス・デュパンルーによるカトリックの教理問答の授業があり、「人間はどこから来たのか」「どこへ行こうとするのか」「人間はどうやって進歩していくのか」という3つの問いを教え込まれています。後年キリスト教に猛反発するようになりますが、この問いはゴーギャンから離れなかったとされています。

来歴に残された空白

ボストン美術館の記録によれば、この絵の来歴は完全には解明されていません。最初の記録は1898年、ゴーギャンが画家で収集家のジョルジュ=ダニエル・ド・モンフレエに絵を送ったというものです。その後パリやヨーロッパの画商・収集家の手を経て、1936年にニューヨークのマリー・ハリマン・ギャラリーが入手し、同年4月16日にボストン美術館が購入しました。

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よくある疑問

『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』はどこにある?

ボストン美術館(アメリカ・マサチューセッツ州)が1936年に購入して以来所蔵しています。シカゴ美術館で開催された展覧会に一時的に貸し出されたことがありますが、通常はボストン美術館で見られます。

何が描かれている?

画面右から左へと、人生の始まり、成年期、死を迎える老女という3つの人物群像が描かれ、それぞれ絵の題名を表しています。背景の青い像は「超越者」を表していると考えられています。

なぜこの絵を描いた?

本作を手がける直前、ゴーギャンは愛娘アリーヌを亡くし、立ち退きや借金、健康悪化が重なり、失意の底にありました。完成後に自殺を決意したとされ、自身の画業の集大成と考えていたようです。

題名の3つの問いにはどんな意味がある?

ゴーギャンは11歳から16歳まで神学校に通い、カトリックの教理問答を学びました。その基本的な問答は「人間はどこから来たのか」「どこへ行こうとするのか」「人間はどうやって進歩していくのか」というもので、後年キリスト教に反発しながらも、この問いはゴーギャンから離れなかったとされています。

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