
発表時のタイトルは『避暑』で、その後『湖辺』『湖畔美人』などを経て、現在の『湖畔』という題に定まったのは1929年、実に32年後のことでした。重要文化財への指定も1968年にいったん見送られ、1999年まで待つことになります。
見どころ
モデルは芸妓、金子たね
モデルは、東京・柳橋の芸妓だった金子たね(のちに黒田照子と改名)です。芦ノ湖のほとりに滞在中、岩に腰掛けて涼んでいたところをモデルに指名されました。
宿の団扇
右手に持つ団扇は、宿泊していた旅館のものとされています。白い地にピンク色のハギの花が描かれています。
紫を基調にした配色
青色と赤色に紫色を足して暗い色をつくる手法が使われ、黒田は「紫派」と呼ばれるようになりました。画面全体を淡い寒色系統でまとめ、湿気を含んだ高地の空気を表現しています。
31年越しの重要文化財指定
黒田作品のうち重要文化財に指定されているのは『舞妓』と『湖畔』です。1968年、両作品が候補に挙がりましたが、審議の結果『舞妓』の指定が決まり、『湖畔』は保留となりました。美術評論家の土方定一と彫刻家の石井鶴三が指定に難色を示したためと伝えられています。『湖畔』が指定を受けたのは、それから31年後の1999年でした。
教科書の中の『湖畔』
戦前は、裸体画やモデルとの複雑な関係が理由で、黒田の代表作を鑑賞教材に選ぶのが難しい時期がありました。1941年には『茶体み』、1943年には『百合』が鑑賞用の掛図に採用されています。戦後は『鉄砲百合』や『読書』が長く教材に採用され、『湖畔』が多く採用されるようになったのは昭和50年代半ば以降のことです。
下描きをめぐる調査
たねは黒田が下描きをしなかったと語っていましたが、赤外線写真の調査では木炭による詳細な下描きの存在が確認されています。右耳の大きさや右手の位置など細部には完成画との違いも見られ、髪飾りと櫛は下描きの段階では描かれていませんでした。
よくある疑問
- 『湖畔』はどこで見られる?
-
東京国立博物館(東京)の所蔵で、1999年に重要文化財に指定されました。
- モデルは誰?
-
東京・柳橋の芸妓だった金子たね、のちの黒田照子です。黒田とは長く内縁関係にありましたが、1922年に正式に結婚しました。
- どこで描かれた?
-
神奈川県箱根の芦ノ湖のほとりです。1897年8月、避暑のために滞在した黒田が、たねを伴って約1か月かけて描き上げたとされています。
- タイトルはずっと『湖畔』だった?
-
いいえ。1897年の初公開時は『避暑』、1900年のパリ万国博覧会では『オ・ボ・ドゥラ』、1905年の展覧会では『湖辺』という題が使われました。『湖畔』という現在の題が資料に現れる最も古い例は1929年です。
基本データ
黒田清輝のほかの作品
出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル