
タイトルは『読書』ですが、随筆家の白洲正子は「この女はちっとも読書なんかしてはいない」と評しました。グレー村で雨続きの天気が続いたため、屋内で描ける主題として構想され、モデルのマリア・ビョーとは恋愛関係にあったとされています。
見どころ
陽光に照らされた顔
鎧戸のすき間からわずかに入る陽光が、モデルの顔とブラウスを照らしています。金髪の女性は頬がわずかに紅潮しており、若く健康であることを表しているとされます。
めくられる寸前のページ
女性は左手で本を支え、右手は今まさにページをめくろうとしている瞬間として描かれています。着衣の色調にはとりわけ苦労し、何度も修正を重ねたと伝わります。
閉じられた鎧戸
背景の鎧戸は外開きのもので、絵の中では閉じられています。画面右側には内開きのガラス戸が見えており、光の入り方を作る仕掛けになっています。
雨がつくった構図
黒田は1890年6月、パリ近郊の芸術家村グレー=シュル=ロワンに滞在し、本作の制作に取りかかりました。同月上旬から雨期が始まり連日雨が降っていたため、屋内でも描ける主題として、女性が読書をする室内の場面が構想されたことが書簡から判明しています。
制作は当初1か月ほどで終える予定でしたが、実際にほぼ完成したのはその年の8月末ごろでした。その後も着衣の色調をめぐって何度も修正が重ねられ、最終的な完成は11月ごろとされています。1891年2月に補筆が加えられ、3月に額装されました。師のラファエル・コランの指導により、日本人の作であることを示すため「源清輝寫」の署名と「明治二十四年」の年記が漢字で書き入れられています。
モデル、マリア・ビョー
モデルのマリア・ビョーは、ドイツ人の血を引く東部フランス出身の女性で、グレー村の百姓の家に生まれました。父は豚肉加工業者で水車小屋の番人も務めており、黒田の友人たちは彼女を「豚屋の娘」と呼んでいたといいます。
黒田とマリアは恋愛関係にあったとされています。黒田は養母への手紙の中で、フランスの貴族男性と貧しい漁夫の娘との悲恋を描いた小説になぞらえて自分とマリアの関係をつづっており、周囲もその関係を話題にしていました。後年の会合では、和田英作はプラトニックな関係だったと語り、久米桂一郎はより深い関係だったのではないかとの見方を示しています。
サロン入選とその後
1891年3月、本作は『夏の読書』というタイトルでフランス芸術家協会のサロンに出展され、入選しました。日本人としては1881年の五姓田義松、1888年の藤雅三に次いで3人目の入選で、黒田はこの作品でパリ画壇にデビューしています。翌1892年には明治美術会の展覧会に参考作品として出展され、日本国内でも広く知られるようになりました。
戦後の美術教育では、昭和30年代から50年代半ばにかけて本作が鑑賞教材として定着しました。ヨーロッパ人が書を読む姿が「西洋」と「読書」という2つの点で教材にふさわしいと考えられたためです。その後は同じ黒田の作品『湖畔』に取って代わられています。
よくある疑問
- 『読書』はどこにある?
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東京国立博物館が所蔵しています。
- モデルは誰?
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マリア・ビョーというフランス人女性です。ドイツ人の血を引く東部フランス出身で、グレー村の百姓の家に生まれました。父が豚肉加工業者だったことから、黒田の友人たちは彼女を「豚屋の娘」と呼んでいたと伝わります。
- なぜ屋内の場面が描かれた?
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1890年6月、黒田が滞在したグレー村で雨期が始まり、連日雨が降っていたためです。屋内でも描ける主題として、女性が読書をする室内の場面が構想されました。
- サロンに入選した?
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1891年3月、フランス芸術家協会のサロンに『夏の読書』(Lecture en été)というタイトルで出展され、入選しています。日本人としては3人目の入選で、黒田はこの作品でパリ画壇にデビューしました。
基本データ
黒田清輝のほかの作品
出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(Public domain)。元ファイル