
エドワード3世に処刑を覚悟して出頭した6人の市民を、ロダンは英雄的にではなく打ちひしがれた姿として彫りました。彫刻を鑑賞者と同じ地面の高さに置くことを望んでいましたが、カレー市はロダンの死後1924年まで高い台座の上に設置し続けました。原型から鋳造された像は世界に12点あります。
見どころ
先頭に立つサン・ピエール
カレー市の裕福な指導者だったウスタシュ・ド・サン・ピエールが最初に志願し、やせ衰えた姿で先頭に立って城門へ歩きます。手には城門の鍵を持っています。
首に巻かれた縄
エドワード王は6人に、裸に近い格好で首に縄を巻き、鍵を持って出頭するよう要求しました。ロダンはこの姿を、敗北と自己犠牲、死への恐怖が入り交じる瞬間として捉えています。
地面の高さに置かれた群像
台座を使わず、鑑賞者と同じ地面の高さに彫刻を置くのがロダンの意図でした。展示場所によって台座の有無や高さが異なり、少なくとも1つは台座上面が地面と同じ高さになるよう沈められています。
百年戦争のカレー包囲戦
1347年、百年戦争のさなかにイギリス王エドワード3世がフランスの港町カレーを包囲しました。フランス王フィリップ6世は持ちこたえるよう指令しましたが、包囲を解くことができず、飢餓に苦しんだカレー市は降伏交渉を余儀なくされます。エドワード王は、市の主要メンバー6人が出頭すれば市民を救うと持ちかけましたが、それは事実上6人の処刑を意味していました。
地面の高さで見せたかった彫刻
この作品は1880年、カレー市長の提案で町の広場への設置が計画されました。ロダンは彫刻作品を高い台座ではなく地面に直接置くことを意図しており、これは当時としては革新的な発想でした。しかしカレー市議会はロダンの意図に反し、ロダンの死後の1924年まで像を高い台座の上に設置し続けました。
松方コレクションと日本
実業家の松方幸次郎はこの作品の所蔵を望み、パリのロダン美術館に鋳造を依頼しました。1919年から1921年の間に鋳造されましたが、このエディションはアメリカのコレクターに売却され、補填のための鋳造もフランス国内で第二次世界大戦を迎え、ドイツ政府によりケルンへ送られています。戦後、日本政府はフランス政府に松方コレクションの返還交渉を行いましたが、ロダン美術館はドイツから戻った像を自館に残すことを主張しました。代わりに1953年、日本の国立西洋美術館に寄付するための新たな鋳造が行われ、1959年に東京に設置されています。
よくある疑問
- 『カレーの市民』はどこにある?
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オリジナルの鋳型から作られたエディションが世界12か所にあります。最初のエディションは今もカレー市庁舎前にあり、ロンドンのヴィクトリア・タワー・ガーデン、パリとフィラデルフィアのロダン美術館、東京の国立西洋美術館などにも設置されています。
- なぜ英雄的でなく打ちひしがれた姿に描いた?
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普仏戦争の敗北後で、フランスは若者の犠牲を表彰する記念碑を求めていましたが、ロダンは市民を陰気で疲れきった姿として表現し、当時は論争になりました。敗北と自己犠牲、死への恐怖が交錯する瞬間をそのまま捉えることを意図したとされています。
- 実際に6人は処刑された?
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いいえ。歴史上、6人の命はエドワード王妃フィリッパ・オブ・エノーの嘆願によって助命されたと伝えられています。彼女は、生まれてくる子どもに殺戮は悪い前兆になると夫を説き伏せました。
- 日本にもある?
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はい。東京の国立西洋美術館にあります。実業家の松方幸次郎が所蔵を望んで依頼した鋳造は戦争で行方が入り組み、最終的にロダン美術館が代わりに1953年に新たに鋳造したものが1959年に東京へ設置されました。
基本データ
- 作者
- オーギュスト・ロダンAuguste Rodin
- 制作年
- 1888年
- 種別
- 彫刻
- 技法・素材
- ブロンズ
- 展示室
- 印象派以後
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出典・画像について
画像: Wikimedia Commons(CC0)。元ファイル